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歴史と哲学の県立熊谷図書館

所蔵資料展示目録(平成19年度 第3回) 2008  1月5日(土)〜3月27日(木)

遍 路 四国八十八札所を巡る

 弘法大師空海は、現在の香川県善通寺市に生まれ、青年期には、四国の辺地と言われるような場所で、厳しい仏教の修行に励んだといわれています。その後、西暦804年、唐に留学し師の「恵果」より真言密教という深遠な仏教哲学の真髄を伝授され、帰国後、高野山を開きました。また、満濃池(灌漑用貯水池)の修造に関わるなど当代の科学技術面に関しても、大きな功績を残しました。
 遍路は笠などに「同行二人」と書き、常に大師と共に在るという自覚のもとに、大師に由縁のある八十八の寺々を参詣し、何らかの功徳にあづかろうとするものです。何故に四国八十八ケ所のみが「遍路」と言われるようになったかについては、推定の域を出ません。しかし、『今昔物語』や『梁塵秘抄』には「辺地」の言葉が見受けられ、僻地であった四国の海辺をめぐり、修行に励む僧の有様が紹介されています。
 四国遍路は、江戸中期頃から宗教的修行者としての遍路に加えて一般の庶民も多く参加する傾向がみられ、次第に隆盛を見るようになりました。しかし、当時それは、親子兄弟親類縁者が水杯をかわすような、生死をかけた困難がつきまとうものでした。そのような中で、四国八十八札所に倣い、身近で気楽に詣でることのできる「写し」と言う札所も各地にもうけられました。
 明治に入り、近代化の進展とともに、四国遍路もその姿を除々に変貌させていきました。廃仏毀釈等のために四国八十八札所も一時衰退を余儀なくされましたが、明治も中頃になると、四国遍路にでる人々も次第に多くなり、再び隆盛を見せるようになりました。
 一時期は、自動車等を利用しての遍路が圧倒的でしたが、バブルがはじけたあたりから、わずかですが「歩き遍路」とよばれる遍路本来の形態の人々も増え始め、その目的も単なる願掛け的なものだけでなく、歩くことによって今までの自分の姿を見つめ直す、自分探しの遍路も多くなっているといわれています。
 また、現代でも四国では、「お接待」と言い、遍路に対して少額のお金、食べ物、湯茶等を布施する美風が習慣として残っています。

【リストの見方】
「書名/副書名/巻号/著編者/発行所/刊行年/請求記号]の順に表記
※請求記号の前の記号 B=文庫本 S=埼玉資料 SA=県人著作  D=大型図書 BM=移動図書 R=参考調査資料

【空海・弘法大師等】

【四国八十八札所案内記等】

【遍路(体験記等)】

【新四国霊場等】

【四国八十八ケ所遍路研究資料等】

【巡礼・遍路研究資料等】

【遍路関係雑誌等】

【世界遺産の巡礼道 サンチャゴ巡礼道】


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