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歴史と哲学の県立熊谷図書館

「文字・活字文化の日記念」所蔵資料展示目録 平成18年度第2回  期日:10月4日(水)〜12月28日(木)

没後八百年  熊谷次郎直実

 いまさらにいうまでもなく熊谷次郎直実は、平安末から鎌倉初期にかけて活躍した無骨で勇猛無双、一騎当千の荒武者で知られた埼玉出身の典型的な武蔵武士です。
 直実は、永治元年(1141年)に熊谷に生まれたといわれています。十五歳で「保元の乱」に初陣を飾ってから、「平治の乱」、「石橋山の合戦」、「常陸佐竹氏の金砂城の攻略」「宇治川の合戦」、「一ノ谷の合戦」等で、数々の武勲を立てました。「金砂城」での活躍にたいして源頼朝は、直実を「万人に勝れ...一人当千の高名を顕し...」と賞賛し、その功績により失地であった熊谷郷が領地として復され地頭職に任命されました。
 また、「一ノ谷の合戦」で、自分の息子の直家と同年齢の平家の公達平敦盛を討った話は、歴史書ばかりでなく『平家物語』に代表される物語を始め、絵画、能、文楽、歌舞伎等のさまざまな分野にとりあげられ、今に語り伝えられています
 反面、五十歳頃からはいままでの人生と全く対照的に「法力坊蓮生」と名乗り、法然上人の弟子として念仏者の道を歩みました。直実が信仰の道に入った理由は「敦盛」とのこと、「久下直光」との所領訴訟の敗北等諸説がありますがはっきりした事は分かっていません。
 しかしながら、このような人の世の無常、人生の挫折が直実をして信仰の道に向かわせたことは間違いのないことのように思われます。
 そして最高の極楽往生である「上品上生」を願い、念仏三昧の生活を過ごしました。その仏道への精進ぶりは師の法然より「坂東の阿弥陀仏」と讃えられるほど熱心なものであったといわれています。
没年、その場所については諸説がありますが、最近、直実の手紙を検証の結果、建永二年(1207年)九月四日、熊谷で亡くなったという有力な説が発表されています。

         

  【リストの見方】
[ 書名/副書名/巻号/著編者/発行所/刊行年/請求記号]の順に表記
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【熊谷直実とその時代】

【蓮生坊と法然】

【物語・絵画・芝居等と直実】


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