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歴史と哲学の県立熊谷図書館

 (本資料展は終了しました)

所蔵資料展示目録(平成18年度 第4回) 2007  3月24日(土)〜6月21日(木)

考古学への誘い

 今回の展示は、マスコミで大きく報道されたり、教科書等に取り上げられている先史時代の遺跡のなかで、当時の人々の日常生活を知ることのできる遺跡をとりあげました。 いわばこれらの遺跡については、考古学についてあまり関心がなくても、「ああ、テレビで見た。」「聞いたことがある。」「行ったことがある。」「試験に出た。」という人も多いのではないでしょうか。
 また、これらの遺跡とあわせて、「歴史時代」に入ってから庶民の生活をうかがい知ることのできるところを2ヵ所(中世の港町、戦国時代の城下町)紹介します。          

〈リストの見方〉
 [ 書名/副書名/巻号/著編者/発行所/刊行年/請求記号]の順に表記  
※請求記号の前の記号   B=文庫本 D=大型図書 DV=DVD  BM=移動図書館資料 E=絵本   オ=大沢文庫 久=久喜図書館蔵書 浦=浦和図書館蔵書
  

【岩宿遺跡】

 群馬県みどり市笠懸町にある旧石器時代の遺跡。
 1946年(昭和21)、在野の考古学者相沢忠洋(あいざわただひろ)氏によって関東ローム層の赤土の中から、旧石器が発見されました。
 この遺跡の発見により、日本にも『旧石器時代』が存在したことが初めて証明されました。それ以来、日本の各地で旧石器時代の遺跡が発見され、これらの研究成果により、現在では当時の人々の暮らしの様子が詳細にわかるようになってきました。            

【三内丸山遺跡】

 青森市三内字丸山にある縄文前期から中期末にかけての日本最大クラスの遺跡。
 1992年(平成4)から発掘調査が行われ、今から約5500年から4000年前の各種の住居跡、墳墓 、土器、ゴミ捨て場、貯蔵穴、各地との交易によってもたらされたヒスイやコハクの装身具、黒曜石の石器等が発見されています。また、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培作物が出土し、クリの栽培が行われていたこともDNA分析により明らかになっています。

【尖石遺跡】

 茅野市豊平(八ヶ岳西山麓の台地上)にある縄文中期の集落遺跡。
 日本の原始集落調査研究のさきがけとなった、今から約5000年前の遺跡です。その名前は遺跡の南側に尖石と呼ばれる巨石が存在することに由来します。長年にわたり尖石遺跡の調査研究に従事した宮坂英弌(みやさかふさかず)氏により30以上の竪穴住居跡のほか、数多くの遺物が発見されました。宮坂氏の研究によりこの遺跡が、学術的にも重要な遺跡であることが明らかになりました。

【大森貝塚遺跡】

 東京都品川区大井にある縄文時代後期から晩期の貝塚遺跡。
 今から約4000年から3000年前の遺跡です。1877年(明治10)エドワード・シルベスター・モースにより汽車の車窓より発見されました。 同年、モースはこの遺跡を東京大学の教え子とともに発掘し、これは日本における「学術的考古学発掘」のさきがけとなりました。 1879年(明治12)には日本初の発掘調査報告書が発行されています。

【登呂遺跡】

 静岡市駿河区にある遺跡。安部川の扇状地にある弥生時代後期3世紀頃の農業集落遺跡で、日本で水田跡が確認された最初の遺跡です。
 太平洋戦争中、軍需工場建設予定地で発見されましたが、1947年(昭和22)考古学・人類学・地質学などの学者の参加によって学際的発掘調査が行われ、大きな研究成果が得られました。竪穴式住居跡や高床式倉庫跡の建物跡が見つかり、数多くの木製農具も出土しました。

【吉野ヶ里遺跡】

 佐賀県神崎市・吉野ヶ里町にまたがる弥生時代全時代にわたる日本最大級の環濠集落遺跡。遺跡からは、それぞれの時代の特徴を顕著にあらわす遺跡・遺物が数多く発見されています。
 これらを時系列的にみていくと弥生時代における原始的国家「クニ」の中心となる集落の成立過程や、紀元前3世紀から紀元後3世紀の人々の生活の移り変わりをよく知ることができます。

【草戸千軒町遺跡 − 中世の港町】

 広島県福山市にある中世の港町・市場町の遺跡。
 草戸千軒町遺跡は、長い間福山市を流れる芦田川の川底に埋もれていたために、はっきりしたことはわかっていませんでした。1961年(昭和36)から、約30年間の発掘の結果、今からおよそ750〜450年程前(中世)に芦田川の河口に開けた商工業・経済活動の盛んなにぎやかな港町・市場町の遺跡であることがわかるようになりました。

【一乗谷朝倉氏遺跡 − 戦国時代の城下町】

 福井県福井市城戸ノ内町にある中世末(戦国時代)における朝倉氏の城下町遺跡。
 朝倉氏は、1471年(文明3)から織田信長に攻め滅ぼされるまで5代103年間にわたってこの地を支配しました。
 1967年(昭和42)以来の発掘調査により、朝倉氏の城館をはじめ、家臣の屋敷、寺院、職人や商人の家屋が、計画的につくられた 狭谷の道の両側に密集して並んでいたことが明らかになっています。現在、発掘調査に基づき、当時の町並が200mにわたり復元されています。


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