行田市史 資料編 古代中世 貸出可
行田市史編さん委員会/編 -- 行田市 -- 2012.3 --
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口絵[カラー]@@ 4 稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣@@ 62 関東下知状(文保2年12月24日)@@ 178 足利成氏書状((文明11年)閏9月24日)@@ 326 成田氏長書状((天正14年)4月20日)@@ 334 成田氏長書状(年未詳6月晦日)@@ 357 豊臣秀吉朱印状((天正18年)7月6日)@@ 371 浅野長吉書状((天正18年)7月14日)@@序 行田市長 工藤正司@@編集にあたって 古代中世史部会長 田代脩@@凡例@@目次@@第一編 古代史料@@ 解説@@ 1 景行天皇五十三年 磐鹿六獦、武蔵国造・知々夫国造の祖先らと魚貝を@@ 料理し、景行天皇を安房で饗応する。…………………… 5@@ 2 成務天皇在位のころ 兄多毛比命、無邪志国造に定め賜わる。………………… 8@@ 3 仁徳天皇十一年 茨田堤の築堤工事に従事した武蔵の人・強頸、人柱に@@ される。……………………………………………………… 10@@ 4 辛亥年(四七一)七月 杖刀人首乎獲居臣、自らの八代の系譜と大王への代々の@@ 奉仕の業績を鉄剣に記す。………………………………… 12@@ 5 安閑天皇元年(五三四)閏十二月 武蔵国造笠原直使主、同族小杵と国造職をめぐって@@ 争う。………………………………………………………… 15@@ 6 舒明天皇五年(六三三) 厩戸皇子の舎人・物部連兄麻呂、武蔵国造に@@ 任命される。………………………………………………… 16@@ 7 藤原宮造営のころ 小敷田遺跡出土の木簡に出挙などに関する墨書銘が@@ みえる。……………………………………………………… 17@@ 8 霊亀三年(七一七)十月 長屋王家に武蔵国策覃郡宅□駅からヒシの実が@@ 献上される。………………………………………………… 22@@ 9 年未詳 高橋虫麻呂、「小埼沼」などの風景を詠む。…………… 23@@ 10 神亀三年(七二六) 愛宕郡の住人出雲臣乎多須、和銅二年に武蔵国埼玉郡@@ まで逃亡したことが記録される。………………………… 24@@ 11 天平年間(七二九~七四八)ごろ 笠原郷の戸主某、絁を貢納する。………………………… 25@@ 12 天平年間(七二九~七四八)ごろ 埼玉郡居住の新羅人徳師ら男女五三人、金姓を賜る。… 26@@ 13 天平五年(七三三)六月二日 「埼玉の津」で流行していた恋歌、『万葉集』に@@ 収載される。………………………………………………… 27@@ 14 天平勝宝七年(七五五)二月二十日 安曇宿禰三国が上進した武蔵国防人歌に埼玉郡上丁@@ 藤原部等母麿夫妻らの歌が見える。……………………… 28@@ 15 神護景雲元年(七六七)十二月八日 武蔵宿禰不破麻呂、武蔵国造に任命される。…………… 31@@ 16 宝亀四年(七七三)二月三十日 武蔵宿禰不破麻呂ら、佐保川の堤・堀の修理にあたる。 32@@ 17 年未詳 丈部鳥麻呂の名が紡錘車に刻まれる。…………………… 33@@ 18 承和四年(八三七)十月二十六日 埼玉郡出身の天台座主円澄、六十六歳で没す。………… 34@@ 19 延長五年(九二七) 『延喜式』神祇九「神名帳」中の武蔵国埼玉郡に@@ 「前玉神社」などが見える。……………………………… 36@@ 20 延長五年(九二七) 『延喜式』に武蔵国所管の郡名が列挙されている。…… 39@@ 21 承平年間(九三一~九三八) 『倭名類聚鈔』の中に武蔵国の田数や租稲量が記され、@@ また郡名が列挙されている。……………………………… 39@@ 22 承平年間(九三一~九三八) 『倭名類聚鈔』の中に武蔵国の郡郷名が列挙されており、@@ その中に埼玉郡の郷名が見える。………………………… 40@@ 23 保元元年(一一五六) 成田太郎、保元の乱で源義朝に従う。…………………… 42@@第二編 中世史料@@ 第一章 鎌倉時代@@ 解説@@ 1 治承四年(一一八〇)八月二十四日 津戸四郎ら、畠山重忠に従い相模国小坪坂で討死する。 53@@ 2 治承五年(一一八一)十一月 源頼朝、新田義重を糯田郷の郷司職に補任する。……… 55@@ 3 寿永三年(一一八四)二月五日 河原高直・同忠家、大手軍大将軍の源範頼に従い、@@ 一の谷の合戦に臨む。……………………………………… 56@@ 4 寿永三年(一一八四)二月 渡柳清忠、搦手軍大将軍の源義経に従う。……………… 57@@ 5 寿永三年(一一八四)二月 搦手軍の成田助忠、一の谷の合戦で平山季重と先陣を@@ 争う。………………………………………………………… 58@@ 6 寿永三年(一一八四)二月 大手軍の河原高直・盛直兄弟、先陣を切って生田の森の@@ 平氏の陣営に攻め入り討死する。………………………… 59@@ 7 寿永三年(一一八四)二月 私市党の兵ら、大手から一の谷を攻める。……………… 61@@ 8 文治元年(一一八五)十月二十四日 河原三郎ら、源頼朝の勝長寿院落慶供養に随兵として@@ 供奉する。…………………………………………………… 61@@ 9 文治四年(一一八八)三月十五日 広田次郎ら、源頼朝の鶴岡八幡宮大般若経供養参向に@@ 随兵として供奉する。……………………………………… 62@@ 10 文治五年(一一八九)七月十九日 成田助綱ら、源頼朝の奥州藤原泰衡討伐軍に従って鎌倉@@ を出陣する。………………………………………………… 63@@ 11 建久元年(一一九〇)十一月七日 河原小三郎・成田助綱・忍三郎・同五郎ら、源頼朝の@@ 入洛に随兵として供奉する。……………………………… 64@@ 12 建久六年(一一九五)三月十日 鴛三郎ら、源頼朝の東大寺供養参向に供奉する。……… 66@@ 13 建久六年(一一九五)三月二十一日 津戸為守、法然上人より念仏往生の教えを受ける。…… 67@@ 14 (元久元年、一二〇四)三月十四日 津戸為守、法然上人源空から往生のことなどについて@@ 返書を受ける。……………………………………………… 69@@ 15 元久二年(一二〇五) 津戸為守、諸宗誹謗と讒言され、源実朝から召還され@@ ようとする。………………………………………………… 76@@ 16 建永元年(一二〇六)四月二十八日 津戸為守、幕府で専修念仏について問いただされる。… 77@@ 17 承元元年(一二〇七)七月十四日 津戸為守、流刑になった法然上人に書状を送る。……… 78@@ 18 建保五年(一二一七)四月五日 成田次郎、深沼五郎と闘諍する。………………………… 79@@ 19 承久元年(一二一九)一月 津戸為守、出家して尊願と号する。……………………… 79@@ 20 承久三年(一二二一)六月十二日 広田小次郎ら、瀬田橋の合戦で京方と戦う。…………… 80@@ 21 承久三年(一二二一)六月十四日 成田兵衛・同次郎ら、宇治川の渡河戦に参加する。…… 81@@ 22 承久三年(一二二一)六月十八日 宇治川合戦の勲功の賞を行うため交名が作成される。@@ その中に成田五郎らの名が見える。……………………… 82@@ 23 承久三年(一二二一)閏十月十四日 鎌倉幕府、津戸朝守の丹波国波々伯部保における@@ 濫妨停止を六波羅探題に命じる。………………………… 85@@ 24 承久三年(一二二一)十二月二十九日 六波羅探題、関東御教書の旨に任せて、津戸朝守の@@ 沙汰を停止する。…………………………………………… 86@@ 25 天福二年(一二三四)二月十二日 勢縁、忍保安養寺の北面において、「求聞持秘口決」を@@ 書写する。…………………………………………………… 86@@ 26(文暦二年、一二三五)九月三日 津戸為守、法然上人没後に善恵房の教えを受ける。…… 87@@ 27 暦仁元年(一二三八)二月十七日 西条与一ら、藤原頼経の入洛に供奉する。……………… 88@@ 28 暦仁元年(一二三八)二月二十二日 若児玉小次郎ら、藤原頼経の他出に供奉する。………… 89@@ 29 暦仁元年(一二三八)二月二十三日 若児玉小次郎ら、藤原頼経の参内に供奉する。………… 90@@ 30 仁治三年(一二四二)十一月十八日 津戸為守、結願の日に自害往生を図る。………………… 91@@ 31 寛元元年(一二四三)一月十日 真板経朝ら、弓始の射手を務める。……………………… 93@@ 32 寛元元年(一二四三)六月二十三日 鎌倉幕府、中里村などの地頭職を別符行忠に安堵する。 93@@ 33 寛元二年(一二四四)一月五日 真板経朝ら、弓始の射手を務める。……………………… 94@@ 34 寛元三年(一二四四)一月九日 真板次郎ら、弓始の射手を務める。……………………… 95@@ 35 寛元四年(一二四六)一月六日 真板経朝ら、弓始の射手を務める。……………………… 95@@ 36 寛元五年(一二四七)一月十三日 毛利季光、願主となって聖徳太子像を造立する。……… 96@@ 37 建長二年(一二五〇)三月一日 成田入道跡など、造閑院殿雑掌分担目録の中に見える… 97@@ 38 建長三年(一二五一)一月八日 真板経朝ら、由比ケ浜で行われた弓始の射手を務める。 98@@ 39 建長三年(一二五一)一月十日 真板経朝ら、弓始の射手を務める。……………………… 99@@ 40 建長四年(一二五二)一月十四日 真板経朝ら、弓始の射手を務める。……………………… 99@@ 41 建長四年(一二五二)四月十四日 真板経朝ら、宗尊親王の将軍就任後の弓始に射手を@@ 務める。……………………………………………………… 100@@ 42 建長四年(一二五二)十一月十八日 真板経朝ら、的始の射手として召集される。…………… 101@@ 43 建長四年(一二五二)十一月二十一日 真板経朝ら、新造御所の的始に射手を務める。……… 102@@ 44 建長五年(一二五三)一月九日 真板経朝ら、的始の射手に選ばれる。…………………… 103@@ 45 建長五年(一二五三)一月十四日 真板経朝ら、的始の射手を務める。……………………… 103@@ 46 正嘉二年(一二五八)一月一日 津戸新民部丞ら、年始の垸飯の席に列座する。………… 104@@ 47 正嘉二年(一二五八)三月一日 忍小太郎ら、将軍宗尊親王の二所参詣に供奉する。…… 105@@ 48 文永二年(一二六五)閏四月十八日 広田為村の嫡子為泰、信濃国の中野忠能後家尼らと@@ 忠能の遺領を相論して敗れる。…………………………… 105@@ 49 文永八年(一二七一)十一月 西条盛元ら、杵築社の神事に奉納される相撲や@@ 舞の頭役に結番される。…………………………………… 111@@ 50 文永九年(一二七二)八月二十五日 鎌倉幕府、養父盛元の譲状に任せて東江袋村内屋敷@@ ・名田などを西条盛定に安堵する。……………………… 113@@ 51 建治元年(一二七五)五月 鎌倉幕府、六条八幡宮造営注文を作成する。その中に@@ 若児玉次郎跡などが見える。……………………………… 114@@ 52 弘安元年(一二七八)二月二十八日 浄土真宗荒木門徒の源海が没する。……………………… 117@@ 53 弘安十年(一二八七)十一月二十七日 別符行宗、嫡子せんすそうに古別符郷内安枝本名@@ および中里村を譲与する。………………………………… 119@@ 54 正応元年(一二八八)十月二十日 鎌倉幕府、亡父私光方の譲状に任せて石神郷塚村内の@@ 田地を姫若に安堵する。…………………………………… 120@@ 55 正応元年(一二八八)十月二十一日 津戸康朝ら、伏見天皇の大嘗会御禊行幸に供奉する。… 120@@ 56 永仁三年(一二九五)九月十三日 鎌倉幕府、若児玉氏元の後家尼妙性の訴えを認め、@@ 西条郷伊豆熊名内の田畠在家を妙性に領掌させる。…… 121@@ 57 永仁四年(一二九六)十月二十四日 津戸兵庫允ら、小早川政景譲状の裏に封判を加える。… 122@@ 58 永仁五年(一二九七)十一月十五日 鑁海、安養寺で道海に両部灌頂の印可を授ける。……… 123@@ 59 正安三年(一三〇一)十一月二十四日 栄賢、荒木で聖天秘事を書写する。…………………… 124@@ 60 延慶二年(一三〇九)十一月五日 藤原道敏、池上郷施無畏寺の焚鐘を鋳造する。………… 125@@ 61 正和三年(一三一四)閏三月十五日 成田宗家ら、上野国奥平村について同六郎入道長信と@@ 和与する。…………………………………………………… 126@@ 62 文保二年(一三一八)十二月二十四日 鎌倉幕府、安保行員に祖母の旧領陸奥国鹿角郡柴内村@@ を安堵する。………………………………………………… 128@@ 63 年未詳 成田左衛門尉某跡の所領注文が作成される。…………… 129@@ 64 元亨三年(一三二三)十月 津戸兵庫入道ら、北条貞時十三年忌の法要に進物を@@ 献じる。……………………………………………………… 129@@ 65 正中二年(一三二五)十二月六日 安保行員、成田郷地頭郡司職などの所領を嫡子基員に@@ 譲与する。…………………………………………………… 130@@ 66 嘉暦三年(一三二八)一月九日 津戸為景ら、的始の射手を務める。……………………… 131@@ 67 嘉暦三年(一三二八)十二月二十一日 僧審省、成田郷内の地を建長寺塔頭の正続院に@@ 寄進する。…………………………………………………… 132@@ 68 元徳二年(一三三〇)一月十四日 津戸為重ら、的始の射手を務める。……………………… 133@@ 69 元弘三年(正慶二年、一三三三)一月十四日 成田氏ら、楠木正成と河内国で合戦し敗れる。 133@@ 70 元弘三年(正慶二年、一三三三)閏二月二十七日 熊谷直氏、千早城合戦の手負注文を@@ 作成する。その中に西条直正が負傷したことが見える。 135@@ 71 元弘三年(正慶二年、一三三三)五月九日 広田経英ら、近江国番場宿の一向堂前の合戦で@@ 自害する。…………………………………………………… 136@@ 72 元弘三年(一三三三)十月 沙門唯信、糯田郷六角堂に奉納する阿弥陀如来坐像を@@ 造立する。…………………………………………………… 137@@ 73 元弘三年(一三三三)十月 大河戸隆行、崛巣郷代官岩瀬五郎入道妙泉の@@ 分倍河原合戦などの軍忠を注進する。…………………… 138@@ 74(元弘三年、一三三三) 和田助泰、父助家の楠木城合戦の軍忠を書き上げる。@@ その証人に成田又四郎入道などの名が見える。………… 139@@ 75 年未詳 中条・忍など、かつて児玉弘行の所領であったという。 141@@ 第二章 南北朝・室町時代@@ 解説@@ 76 建武元年(一三三四)五月三日 別符幸時、建武政権から勲功の賞として上野国佐貫荘内@@ 羽祢継郷を給与される。…………………………………… 150@@ 77 建武元年(一三三四)六月 曾我光高、陸奥国府に対して、安保弥五郎入道に与えら@@ れた陸奥国津軽平賀郡内沼楯村の返付を求める。……… 151@@ 78 建武元年(一三三四)八月二十九日 兵庫助氏政、新田義貞の命を受け、別符幸時に上野国@@ 佐貫荘内羽祢継郷を打ち渡す。…………………………… 152@@ 79 建武元年(一三三四)十月十二日 雑訴決断所、西条弥太郎盛光に犬塚村内屋敷田畠・@@ 東江袋村内屋敷田畠・阿弥陀寺田畠などを安堵する。… 152@@ 80 建武二年(一三三五)二月十四日 右馬允政季、極楽寺新宮社に足立郡箕田郷内岩佐七郎跡@@ を打ち渡す。………………………………………………… 153@@ 81 建武二年(一三三五)八月二十四日 長沼秀行の代官成田朝直、中先代の乱鎮圧軍として@@ 北畠顕家のもとに参陣する。……………………………… 154@@ 82 建武三年(一三三六)九月 別符幸時、山城国大渡・山崎の合戦での軍功認定を@@ 北朝軍の大将に申請する。………………………………… 155@@ 83 建武四年(一三三七)六月十日 胤房、上総国畔蒜荘内泉郷を別符幸時代官成田幸重に@@ 打ち渡す。…………………………………………………… 156@@ 84 建武五年(一三三八)二月十一日 別符幸実、高重茂に属して武蔵から京都まで従軍する。 157@@ 85 建武五年(一三三八)二月二十三日 別符幸実、高重茂に属して京都から伊賀・伊勢まで@@ 従軍する。…………………………………………………… 158@@ 86 暦応二年(一三三九)五月二十日 成田頼時・同六郎・安保小五郎ら、南朝方に属して@@ 陸奥国津軽郡大光寺を攻撃する。………………………… 159@@ 87 暦応二年(一三三九)八月二十七日 足利直義、成田基員の訴えを受け、赤松則村による@@ 播磨国須富荘北方地頭職の押領を停止する。…………… 160@@ 88 暦応二年(一三三九)九月二十日 成田基員、嫡子くすはうに崎西郡成田郷などの所領を@@ 譲与する。…………………………………………………… 163@@ 89(暦応二年、一三三九) 山内経之、北朝軍に属し、川又などを通る。…………… 165@@ 90 暦応三年(一三四〇)一月二十四日 安保光泰、嫡子泰規らに賀美郡安保郷・崎西郡大井郷@@ などの所領を譲与する。…………………………………… 166@@ 91 暦応三年(一三四〇)三月一日 別符幸実、北朝軍に属し、常陸国駒館城攻撃に@@ 参加する。…………………………………………………… 170@@ 92 暦応三年(一三四〇)三月 別符幸実、北朝の高師冬軍に属し、鎌倉出発から常陸国@@ 駒館城攻撃に至るまで参加する。………………………… 171@@ 93 暦応三年(一三四〇)八月二十三日 高師冬、江戸近江権守に対して、芋茎郷の替地として@@ 荏原郡内牛込郷闕所分を預け置く。……………………… 172@@ 94 暦応四年(一三四一)十月二十九日 別符幸実、北朝軍に属し、常陸国小田城・信太郡・@@ 東条荘の南朝軍と戦う。…………………………………… 172@@ 95 康永元年(一三四二)六月十二日 成田七郎、足利直義・後藤行重の使者として中原師守に@@ 長井貞頼らの位階を尋ねる。……………………………… 173@@ 96 康永元年(一三四二)十二月五日 中条秀長・多賀谷光忠ら、足利尊氏・同直義に従い、@@ 天龍寺上棟式に供奉する。………………………………… 174@@ 97 康永二年(一三四三)一月二十三日 別符幸実代同秋義、北朝軍に属し、関・大宝城攻撃に@@ 参加する。…………………………………………………… 176@@ 98 康永三年(一三四四)二月 別符幸実、北朝軍大将高師冬に対して戦功の認定を@@ 申請する。…………………………………………………… 177@@ 99 康永三年(一三四四)三月二十一日 中条秀長・津戸道元ら、室町幕府引付の職員に@@ 編成される。………………………………………………… 180@@ 100 康永四年(一三四五)三月 吉田社領常陸国恒富大葉郷内の田地保有者に@@ 成田二郎三郎・成田三郎入道・成田六郎入道らがみえる。183@@ 101 貞和二年(一三四六)一月七日 某神社雑掌吉勝、忍御封のことについて室町幕府に@@ 提訴する。…………………………………………………… 186@@ 102 貞和三年(一三四七)五月十三日 成田四郎五郎入道、田代基綱とともに和泉国内の@@ 地頭御家人役徴収を命じられる。………………………… 187@@ 103 貞和三年(一三四七)八月十四日 量阿弥陀仏、糯田で死去する。…………………………… 188@@ 104 正平七年(一三五二)一月十六日 足利尊氏、別符幸実の駿河国由比山参陣を賞する。…… 188@@ 105 正平七年(一三五二)一月 別符幸実、観応の擾乱において、足利尊氏方として@@ 駿河国由比山に参陣する。………………………………… 189@@ 106 観応三年(一三五二)六月二十三日 足利尊氏、同義詮に対して、成田基員による播磨国@@ 須富荘押領停止訴訟の審理を依頼する。………………… 190@@ 107 観応三年(一三五二)七月二日 足利尊氏、別符幸実に勲功の賞として別符郷東方闕所分@@ などを給与する。…………………………………………… 191@@ 108 年未詳 十一月二十五日 足利尊氏、別符幸実の訴えを受け、足利基氏に対して@@ 別符郷東方闕所分などの押領につき、審理を依頼する。 192@@ 109 文和元年(一三五二)十二月二十日 仁木頼章、守護代に対して、別符幸実への別符郷@@ 東方闕所分の交付を命じる。……………………………… 193@@ 110 年未詳十二月二十七日 足利尊氏、成田基員の訴えを受け、播磨国須富荘@@ 北方地頭職に対する押領停止を赤松則祐に命じる。…… 193@@ 111 文和四年(一三五五)二月十八日 漢阿弥陀仏、糯田郷で死去する。………………………… 194@@ 112 年未詳二月十三日 足利基氏、播磨国須富荘北方地頭職の回復を求めて上洛@@ した成田泰員の訴訟審理を室町幕府に推挙する。……… 194@@ 113 延文四年(一三五九)二月七日 足利基氏、別符幸実に対して、上洛して南朝軍と戦う@@ ことを命じる。……………………………………………… 195@@ 114 正平十四年(延文四年、一三五九)五月三日 中務大輔某、成田七郎左衛門尉跡の出雲国@@ 宍道郷南方を兵粮料所として某に預け置く。…………… 196@@ 115(延文五年、一三六〇)三月二十七日 畠山義深、成田泰員の京都における軍功を証明し、@@ 播磨国須富荘北方地頭職の回復を赤松則祐に求める。… 197@@ 116 延文五年(一三六〇)閏四月九日 足利義詮、紀伊国における別符幸実の討死を賞する。… 198@@ 117 康安二年(一三六二)六月六日 足利基氏、教念寺に男衾郡小泉郷・崎西郡鎌塚郷を@@ 寄進する。…………………………………………………… 198@@ 118 貞治三年(一三六四)六月二十五日 成田泰直、足利基氏の命を受け、玉井覚道とともに@@ 横沼郷を大慈寺新釈迦堂に打ち渡す。…………………… 199@@ 119 貞治三年(一三六四)六月二十五日 玉井覚道、足利基氏の命を受け、成田泰直とともに@@ 横沼郷を大慈寺新釈迦堂に打ち渡す。…………………… 200@@ 120 永和四年(一三七八)九月五日 足利氏満、足利基氏十三回仏事用途を別符幸直に@@ 賦課する。…………………………………………………… 201@@ 121 康暦二年(一三八〇)六月一日 足利氏満、小山義政追討のため、別符幸直に参陣を@@ 命じる。……………………………………………………… 201@@ 122 永徳元年(一三八一)四月十三日 上杉憲方、鬼窪某に対して鳩井義景の買得地たる埼西郡@@ 栢間郷内所領の実否調査を命じる。……………………… 202@@ 123 永徳元年(一三八一) 遍照院頼印、箱根山別当弘実より忍郷の寄進を受ける。 203@@ 124 (永徳元年、一三八一)十二月十一日 赤松義則、守護代に対して播磨国須富荘を成田泰員@@ 代官に引き渡すよう命じる。……………………………… 205@@ 125 永徳元年(一三八一)十二月十四日 赤松五郎、両使に対して成田泰員の代官に播磨国須富荘@@ を引き渡すよう命じる。…………………………………… 206@@ 126(永徳元年、一三八一)十二月二十六日 赤松義則、両使に対して播磨国須富荘を成田泰員@@ 代官に引き渡すよう命じる。……………………………… 207@@ 127 永徳二年(一三八二)三月八日 足利氏満、若児玉美作次郎に対して須賀太郎左衛門尉と@@ ともに戸森郷を」高尾張太郎に打ち渡すよう命じる。… 207@@ 128 永徳二年(一三八二)三月八日 足利氏満、須賀太郎左衛門尉に対して若児玉美作次郎と@@ ともに戸森郷を高尾張太郎に打ち渡すよう命じる。…… 208@@ 129 永徳三年(一三八三)三月二十六日 足利氏満、足利直義三十三回仏事用途を別符幸直に@@ 賦課する。…………………………………………………… 209@@ 130 至徳二年(一三八五)十一月 忍保長野の満願寺住僧祐巌、大般若経を書写する。…… 209@@ 131 明徳四年(一三九三)八月 成田泰員の代官、河原祐直の播磨国須富荘北方押領を@@ 室町幕府に訴える。………………………………………… 210@@ 132 年未詳十二月二十八日 常住院良愉、成田泰員の訴えを受け、斯波義将に播磨国@@ 須富荘の返付を命じる旨の幕府御教書の発給を求める。 212@@ 133 応永二年(一三九五)二月二十九日 成田泰員、播磨国須富荘北方地頭職について祇園社と@@ 契約する。…………………………………………………… 213@@ 134 応永三年(一三九六)十月十八日 門井郷の新御堂で大般若経が書写される。……………… 214@@ 135 応永三年(一三九六)十月十八日 池守郷の西福寺で大般若経が書写される。……………… 215@@ 136 応永四年(一三九七)七月二十日 足利氏満、円覚寺黄梅院に崎西郡葛浜郷内@@ 久下五郎右衛門尉跡などを寄進する。…………………… 216@@ 137 応永六年(一三九九)三月十日 勝覚院幸湛、熊野那智山廊之坊に崎西郡および足立郡@@ 箕田などの旦那権益を売却する。………………………… 217@@ 138 応永十年(一四〇三)一月十六日 上杉憲定、明月院に馬室郷五分のーなどを寄進する。… 219@@ 139 応永十一年(一四〇四)九月二十三日 忍景貞、安芸国国人一揆に参加する。………………… 219@@ 140 応永十二年(一四〇五)五月十二日 恵範、足立郡馬室郷妙楽寺を大石大炊助とともに建立@@ したことを証し、明月院末寺にすることを申請する。… 221@@ 141 応永二十二年(一四一五)七月二十日「市場之祭文」が書き写される。そのなかに太田荘・@@ 足立郡・崎西郡および下総国下河辺荘内の市が書き上げ@@ られる。……………………………………………………… 222@@ 142 応永二十三年(一四一六) 上杉禅秀、足利満隆を擁立し、関東の武士に足利持氏・@@ 山内上杉憲基追討軍への参加を呼びかける。…………… 225@@ 143 年未詳 成田・別符・奈良・玉井の四家は同族で、藤原道長の@@ 後喬という。………………………………………………… 226@@ 144 応永二十四年(一四一七)一月 別符尾張入道代内村勝久、上杉禅秀の乱において@@ 足利持氏方に従う。………………………………………… 228@@ 145 応永二十四年(一四一七)十二月四日 上杉憲基、別符幸忠による幡羅郡別符郷内闕所分の@@ 給付申請を鎌倉府に取り次ぐ。…………………………… 230@@ 146 応永二十七年(一四二〇)八月 千坂前越前守某、別符幸忠領内の萱野への他者の乱入・@@ 刈り取りを禁じる。………………………………………… 230@@ 147 応永三十年(一四二三)八月 別符幸忠、鎌倉府による小栗満重追討に参陣する。…… 231@@ 148 応永三十一年(一四二四)四月二十七日 足利持氏、別符幸忠に玉井駿河入道父子の追討を@@ 命じる。……………………………………………………… 232@@ 149 応永三十一年(一四二四)七月五日 足利持氏、別符刑部丞に別符郷内の所領を還補する。… 233@@ 150 応永三十三年(一四二六)六月三十日 円覚寺塔頭黄梅院、崎西郡葛浜郷などに関わる@@ 文書目録を作成する。……………………………………… 234@@ 151 正長二年(一四二九)十二月八日 足利持氏、別符郷安枝名内の田地を別符幸忠に安堵する。236@@ 152 永享二年(一四三〇)六月十一日 別符幸忠、猶子菊王丸に中条保・上江袋郷を譲与する。 237@@ 153 永享七年(一四三五)八月九日 常陸国の富有人らを書き上げた注文が作成される。@@ そのなかに成田氏・安保氏が同国下妻荘内大串郷を知行@@ する旨が見える。…………………………………………… 237@@ 154(永享十二年、一四四〇)三月十七日 伊勢貞国ヵ、扇谷上杉持朝に対して、足利義教の@@ 武州一揆への御内書を配布するよう伝える。…………… 241@@ 155 永享十二年(一四四〇)七月 足利持氏の遺臣一色伊予守、成田館に拠点を置く。@@ 庁鼻和上杉憲信・長尾景仲、一色伊予守を破る。……… 242@@ 156 康正元年(一四五五)三月二十九日 野毛八郎、熊野那智山の実報院に成田一門ならびに地下@@ の旦那権益を売却する。…………………………………… 244@@ 157 康正二年(一四五六)一月二十七日 足利成氏、岩松持国に上野国佐貫荘・武蔵国太田荘両荘@@ への交通路掌握を命じる。………………………………… 245@@ 158 康正二年(一四五六)一月二十八日 足利成氏、岩松持国らに出陣を命じる。………………… 246@@ 159 康正二年(一四五六)二月十日 足利成氏、太田荘の鷲宮大明神に凶徒退治を祈願し、@@ 足立郡・崎西郡の段銭を造営用途として寄進することを@@ 約する。……………………………………………………… 247@@ 160(康正二年、一四五六)四月四日 足利成氏、武州・上州一揆を率いた上杉軍を破り、@@ 崎西城を落とす。…………………………………………… 248@@ 161 長禄元年(一四五七)三月十八日 某俊綱・慶音尼、崎西郡内の大蔵肥前守知行地を下総国@@ の安穏寺に寄進する。……………………………………… 251@@ 162 長禄元年(一四五七)十二月十九日 足利政知、還俗し、上杉政憲・木戸孝範らとともに@@ 伊豆国堀越に下向する。…………………………………… 252@@ 163 長禄三年(一四五九)ごろ 長尾孫六の被官成田氏ら、五十子陣に在陣する。……… 253@@ 164(長禄三年、一四五九)十月二十一日 実頼、太田荘・上野国佐貫荘における豊島左近将監の@@ 軍功を賞する。……………………………………………… 254@@ 165(寛正元年、一四六〇)四月二十八日 足利義政、前年の太田荘会下の合戦における長尾尾張守@@ の戦功を賞する。…………………………………………… 255@@ 166 年月日未詳 岩松持国、糯田郷などを含む所領注文を作成する。…… 255@@ 167(文正元年、一四六六)閏二月五日 結城氏広、崎西郡南多賀谷の合戦における小塙河内守の@@ 戦功を賞する。……………………………………………… 256@@ 168 文正元年(一四六六)閏二月九日 足利成氏、崎西郡北根原の合戦における小塙河内守の@@ 戦功を賞する。……………………………………………… 257@@ 169(文正元年、一四六六)六月二日 足利義政、足利成氏の直臣簗田持助・佐々木近江守に@@ 渋川義鏡への加勢を命じる。……………………………… 258@@ 170(文正元年、一四六六)六月三日 足利義政、小山常陸介の荒木要害における戦功を賞する。258@@ 171 応仁元年(一四六七)十一月十五日 足利成氏、別符宗幸に与えた長井荘などの知行の保証を@@ 結城氏広に伝える。………………………………………… 259@@ 172(応仁二年、一四六八)十月十一日 足利成氏、上野国毛呂島合戦における別符宗幸の戦功を@@ 賞する。……………………………………………………… 260@@ 173 文明三年(一四七一) 小山持政、足利成氏から離反して上杉氏に従い、下野国@@ 児玉塚に向かう。成田氏ら、それに呼応する。………… 261@@ 174 文明三年(一四七一)六月二十四日 足利成氏、古河城を没落して下総国へ逃れ、@@ 佐々木近江守、騎西城を維持する。……………………… 263@@ 175 文明九年(一四七七)九月十日 足利成氏、崎西郡栢間本郷などの報国寺領を安堵する。 264@@ 176 文明十年(一四七八)三月 足利成氏、成田に布陣する。太田資忠ら、成氏方の@@ 千葉孝胤・長尾景春と戦うため羽生の陣に向かう。…… 264@@ 177 文明十年(一四七八)七月二十三日 足利成氏、成田の陣を引き払い、下総国古河に戻る。… 266@@@@ 第三章 戦国時代@@ 解説@@ 178(文明十一年、一四七九)閏九月二十四日 足利成氏、別符幸宗に対し、忍城の防備を成田氏と@@ ともに行うことを命じる。………………………………… 280@@ 179(文明十二年、一四八〇)十一月二十八日 太田道灌、自身の数々の戦歴を列挙した書状を@@ 高瀬民部少輔に送る。そのなかに成田氏や忍城に関する@@ 記事などが見える。………………………………………… 281@@ 180 文明十八年(一四八六)十二月 尭恵、諸国歴遊の途次、箕田にて和歌を詠む。………… 285@@ 181(長享二年、一四八八) 成田氏、武蔵国中条を赤井氏に与えるとする将軍家下文@@ を拒否したという。………………………………………… 286@@ 182(延徳二年、一四九〇)十月二十日 上杉顕定、屈巣から荒川端を遡上して平原に移陣する旨@@ を太田資康に伝える。……………………………………… 287@@ 183(明応二年、一四九三)二月四日 成田景泰、鑁阿寺不動院に書状を送り、近況を伝える。 288@@ 184(明応二年、一四九三)閏四月十一日 成田景泰、悪党蜂起のことについて鑁阿寺不動院に書状@@ を送る。……………………………………………………… 289@@ 185 年未詳九月十七日 足利政氏、忍城攻めで負傷した蓮沼三郎の治療を@@ 芹沢範幹に命じる。………………………………………… 289@@ 186 明応六年(一四九七) 禅興寺明月院塔主英璵、顕泰の依頼に応じ、亡父正等を@@ 顕彰する詩軸に序を記す。そのなかに正等が岩付に一城@@ を築いた旨の記述がある。………………………………… 291@@ 187 明応八年(一四九九) 猪苗代兼載、成田左衛門大夫の家に滞在し、歌を詠む。 293@@ 188(明応八年、一四九九) 猪苗代兼載、成田左衛門大夫の家に滞在し、歌を詠む。 294@@ 189 永正六年(一五〇九) 柴屋軒宗長、関東歴遊の途次、成田顕泰の館を訪れて、@@ その情景を記す。…………………………………………… 294@@ 190 永正七年(一五一〇)六月十二日 上杉顕定、長尾景長に書状を送り、越後国の情勢などを@@ 伝える。その中に忍城や成田顕泰のことなどが見える。 296@@ 191(永正七年、一五一〇)八月三日 上杉憲房、上乗院公済僧正に書状を送り、関東や越後国@@ の状況などを伝える。その中に成田顕泰らの動向などが@@ 見える。……………………………………………………… 300@@ 192(永正九年、一五一二)七月七日 長尾景長、横瀬景繁の戦功を賞し、成田顕泰一跡などの@@ 知行地を与える。…………………………………………… 302@@ 193 永正十一年(一五一四)七月一日 尊能、騎西部の戸崎郷より下の年行事職を大円坊に申し@@ 付ける。……………………………………………………… 303@@ 194 年未詳十一月二十六日 上杉朝良、世良田長楽寺の寺領などのことについて忍城@@ に滞在中の頤神軒に書状を送る。………………………… 304@@ 195 年未詳十一月二十六日 上杉朝良、頤神軒のことについて成田顕泰に書状を送る。305@@ 196 永正十五年(一五一八)十二月二十五日 伊勢外宮の御師久保倉藤三、関東諸国を廻国して@@ 「道者日記」を記す。その中に、忍の「まねや殿」@@ 「こしつか殿」の名が見える。…………………………… 306@@ 197 大永二年(一五二二)十一月 成田宗廉、上野国公田村の仁叟寺に禁制を出す。……… 306@@ 198 年未詳六月一日 足利政氏、子の基頼に書状を送る。その中に下総守@@ (成田顕泰ヵ)を子の高基のもとに遣わしたことが見え@@ る。…………………………………………………………… 307@@ 199 年未詳十月十七日 足利政氏、正木図書助へ右京亮の官位を与える。……… 308@@ 200 天文二年(一五三三)二月九日 北条氏綱、鶴岡八幡宮再興のため諸将に奉加を求め、忍@@ の成田氏・杉本伊豆守ら、それに応じる。……………… 309@@ 201 天文五年(一五三六)八月二十二日 清善寺開山の宗佐、境内地の覚書を記す。……………… 310@@ 202(天文六年、一五三七)八月七日 上杉憲政、某次郎に書状を送る。その中に河越城が@@ 後北条氏に奪取されたことや藤田・成田氏に松山城出陣@@ を依頼した旨が見える。…………………………………… 310@@ 203 年未詳五月二十七日 上杉憲政、小山高朝に書状を送り、足利晴氏とともに@@ 忍城攻めに出陣することを要請する。…………………… 311@@ 204 天文二十一年(一五五二)四月三日 成田長泰・氏長ら、妻沼聖天堂を造営する。…………… 312@@ 205 天文二十二年(一五五三)三月二十九日 道勢、成田一門および地下の旦那職を等蔵坊の子孫@@ に譲与した旨の添状を書く。……………………………… 313@@ 206 弘治三年(一五五七) 躰光上人の自選句集「石苔」の中に成田下総守の句が見@@ える。………………………………………………………… 313@@ 207 永禄元年(一五五八)五月 成田長泰、雷電宮本殿扉を修造する。…………………… 314@@ 208 永禄元年(一五五八)六月一日 足利義氏、簗田晴助に五か条定の追加を与える。@@ そのなかに簗田氏に従わない小田助三郎について、@@ 成田長泰らに意見すべき旨が見える。…………………… 314@@ 209 永禄二年(一五五九)十一月三日 左衛門三郎、皿尾の久伊豆神社に鰐口を奉納する。…… 315@@ 210 永禄二年(一五五九) 「小田原衆所領役帳」が作成され、他国衆のなかに@@ 成田下総守の名が見える。………………………………… 316@@ 211 永禄三年(一五六〇)十一月十二日 長尾景虎、市田氏に六か条の条目を送り、広田・河田谷@@ 一跡などの知行地を安堵する。…………………………… 318@@ 212 永禄三年(一五六〇)十一月 成田長泰、鎌倉の妙本寺に制札を下す。………………… 319@@ 213 年未詳六月二十五日 成田長泰、江ノ島下之坊に小田原参上の際の返礼を送る。319@@ 214(永禄三年、一五六〇)十二月二日 北条氏康・同氏政、池田安芸守に河越籠城の代償として@@ 忍・岩付領内の地を与えることなどを約す。…………… 320@@ 215 年未詳 長尾景虎、『関東幕注文』を作成する。その中に@@ 「武州之衆」として成田長泰とその一族・家臣の名が見@@ える。………………………………………………………… 321@@ 216(永禄四年、一五六一)六月十日 近衛前嗣、上杉政虎に書状を送り、当時の状況や@@ 成田長泰の人質のことなどを伝える。…………………… 323@@ 217(永禄四年、一五六一) 北条氏康、同長綱に書状を送り、太田資正と成田長泰の@@ 逆心のことなどを伝える。………………………………… 325@@ 218(永禄五年、一五六二)三月十四日 北条氏照、天徳寺宝衍に書状を送り、関東の状勢を伝え@@ る。その中に成田長泰の動きなどが見える。…………… 326@@ 219(永禄五年、一五六三)六月二日 河田谷忠朝、成田氏と合戦して勝利した旨を上杉輝虎の@@ 家臣林平右衛門尉に伝える。……………………………… 328@@ 220 永禄五年(一五六三)十月十日 後北条氏、手島高吉配下の富士参詣の道者五十人と馬五@@ 匹の関所通過を認める。…………………………………… 329@@ 221(永禄六年、一五六三)二月十七日 北条氏康、手島高吉に騎西城の後詰めとして出陣するこ@@ とを命じる。………………………………………………… 330@@ 222(永禄六年、一五六三)四月十五日 上杉輝虎、蘆名盛氏に書状を送り、関東の状勢を伝える。@@ その中に松山城の落城、輝虎の石戸着陣、騎西城攻略の@@ ことなどが見える。………………………………………… 331@@ 223(永禄六年、一五六三)四月二十五日 蘆名盛氏、河村定真に書状を送る。その中に松山城の@@ 落城や騎西城攻略のことなどが見える。………………… 334@@ 224 永禄六年(一五六三)五月 『諸役人附』が作成され、そのうち「関東衆」の中に@@ 成田下総守長泰の名が見える。…………………………… 335@@ 225(永禄六年、一五六三)閏十二月五日 上杉輝虎、富岡重朝に書状を送り、太田資正・成田氏長@@ とともに羽生に陣を移すことを命じる。………………… 336@@ 226 永禄六年(一五六三)閏十二月 木戸忠朝、嶋田道政に恩賞として麻野分と横和田を与え@@ る。…………………………………………………………… 337@@ 227(永禄七年、一五六四)四月十四日 河村定真、結城晴綱に書状を送り、関東の状勢などを伝@@ える。その中に上杉輝虎の騎西城攻略のことなどが見え@@ る。…………………………………………………………… 338@@ 228(永禄七年、一五六四)九月六日 長尾景長、河田長親に書状を送り、北条氏康の関宿城@@ 攻撃を伝える。その中に忍と久下の問の清水に氏康が@@ 張陣したことが見える。…………………………………… 340@@ 229(永禄八年、一五六五)二月二十四日 上杉輝虎、成田氏長に書状を送り、厩橋への参陣を要請@@ する。………………………………………………………… 341@@ 230(永禄八年、一五六五)三月一日 成田氏長、深谷城際における正木図書助の戦功を賞する。342@@ 231 年未詳三月八日 成田氏長、戦勝祈願に対する礼状を聖天院に送る。…… 344@@ 232 永禄八年(一五六五)三月 『長楽寺永禄日記』のなかに、成田に関する記事などが@@ 見える。……………………………………………………… 345@@ 233 永禄八年(一五六五)五月七日 太田資正、岩付城を攻めたが成田に退却したという。… 346@@ 234 永禄八年(一五六五)五月 成田氏長、長谷部源三郎に五疋五駄の荷馬の通行を認め@@ る。…………………………………………………………… 346@@ 235 永禄八年(一五六五)八月 北条氏邦、上杉憲盛と談合して、成田へ動くという。… 348@@ 236 永禄八年(一五六五)九月 成田氏長、上野国厩橋に出陣する。また後北条氏の軍勢、@@ 成田周辺を焼き払う。……………………………………… 349@@ 237 永禄九年(一五六六)三月二十一日 木戸忠朝、正覚院門徒の自由還俗を禁止する。………… 350@@ 238 永禄九年(一五六六)八月二十三日 北条氏政、浜野弾六郎の成田表における戦功を賞する。 351@@ 239 永禄九年(一五六六)八月 白川戸の西明寺に薬師如来坐像が奉納される。………… 352@@ 240(永禄九年、一五六六)閏八月二十五日 北条氏照、正木時忠に書状を送り、戦況を報告する。@@ その中に成田氏長が後北条氏に与したことなどが見える。352@@ 241(永禄九年、一五六六) 上杉輝虎、常陸国の小田城攻略にあたり、陣立覚書を作@@ 成する。その中に成田・広田・木戸氏などの名が見える。353@@ 242(永禄十年、一五六七)六月四日 上杉輝虎、北条氏政の攻撃を防戦した高瀬縫殿助の戦功@@ を賞し、虎房丸を養子として佐野昌綱に返すことを伝え@@ る。…………………………………………………………… 354@@ 243 永禄十年(一五六七) 由良成繁、善・山上両氏に関する事書を作成する。その@@ 中に成田親泰のことが見える。…………………………… 355@@ 244(永禄十二年、一五六九)閏五月六日 上杉輝虎、広田直繁に越相一和の進捗状況と伝え、また@@ 直繁の忠信を賞する。……………………………………… 357@@ 245(永禄十二年、一五六九)七月十五日 上杉憲盛、河田長親に書状を送り、木戸忠朝・広田直繁@@ の使者到来と上杉輝虎への帰属を伝える。……………… 358@@ 246(永禄十二年、一五六九)七月十五日 木戸忠朝、河田長親に書状を送り、上杉憲盛に使者を@@ 送った旨を伝える。………………………………………… 359@@ 247(永禄十二年、一五六九)八月六日 上杉輝虎、広田直繁に書状を送り、上杉憲盛の帰属を祝@@ う旨を伝える。……………………………………………… 359@@ 248(永禄十二年、一五六九)九月二十三日 足利義氏、木戸忠朝に木戸の名字を赦す。…………… 360@@ 249(永禄十二年、一五六九)十二月八日 上杉輝虎、手島左馬助に参陣を要請する。……………… 361@@ 250 年未詳十一月九日 北条氏政、手島左馬助に書状を送り、物見として橋本ら@@ を派遣した旨を伝える。…………………………………… 361@@ 251(永禄十二年、一五六九) 北条氏康・氏政父子、上杉輝虎に十か条の条書を送る。@@ その中に成田のことなどが見える。……………………… 362@@ 252(元亀元年、一五七〇)一月一日 上杉輝虎、手島左馬助に書状を送り、成田氏長の参陣を@@ 求める。……………………………………………………… 364@@ 253(元亀元年、一五七〇)一月十日 上杉輝虎、広田直繁に佐野城攻略などを伝えるとともに、@@ 羽生城周辺の様子を伝えることを求める。……………… 364@@ 254 元亀元年(一五七〇)二月二十八日 上杉輝虎、広田直繁に館林城知行のことなどを申し伝え@@ る。…………………………………………………………… 365@@ 255(元亀元年、一五七〇)三月二十六日 北条氏康・氏政父子、上杉輝虎に七か条の条書を送る。@@ その中に成田氏のことなどが見える。…………………… 366@@ 256(元亀元年、一五七〇)四月十三日 上杉輝虎、広田直繁に書状を送り、直繁・木戸忠朝兄弟@@ の願いを受け入れて足利義氏の古河公方復帰を認める。 370@@ 257 元亀元年(一五七〇)五月一日 上杉輝虎、上杉景虎祝儀のため足利義氏の古河公方承認@@ が遅れたことを広田直繁に伝える。……………………… 371@@ 258 元亀二年(一五七一)二月二十六日 羽生の源長寺に武田家の制札が出される。……………… 372@@ 259 元亀二年(一五七一)十二月九日 成田氏長、七郎右衛門の長吏職を安堵する。…………… 373@@ 260 元亀三年(一五七二)一月八日 北条氏政、市田太郎に氏の一字を与える。……………… 373@@ 261 元亀三年(一五七二)一月十日 上杉謙信、菅原直則に書状を送り、畠山を称することを@@ 認める。……………………………………………………… 374@@ 262 元亀三年(一五七二)三月二十一日 手嶋道範、長久寺に両界曼荼羅を寄進する。…………… 375@@ 263(元亀三年、一五七二)五月三日 成田氏長、栗原備前守に対し、甲州衆の出陣に呼応して@@ 留守居衆による守備固めなどを命ずる。………………… 375@@ 264(元亀三年、一五七二)五月十四日 上杉謙信、北条高広に対し、羽生城と深谷城の備えを固@@ めることなどを申し伝える。……………………………… 376@@ 265(元亀三年、一五七二)八月十五日 千葉胤富、豊前孫四郎に書状を送り、北条氏照の羽生@@ 張陣などを伝える。………………………………………… 377@@ 266(元亀三年、一五七二)八月十八日 上杉謙信、河田重親に書状を送り、北条氏政の羽生城攻@@ 撃を告げるとともに、重親に同城支援を要請する。…… 378@@ 267(元亀三年、一五七二)八月二十二日 上杉謙信、木戸忠朝・重朝父子および菅原直則に書状を@@ 送り、来るべき越山に備え、その準備を命じる。……… 379@@ 268(元亀三年、一五七二)十月四日 北条氏政、榎本口周辺の状況を知らせた成田氏長に満足@@ の意を伝える。……………………………………………… 380@@ 269 天正元年(一五七三)一月一日 某、小林氏に雅楽助の官途を与える。…………………… 381@@ 270(天正元年、一五七三)一月二十四日 武田信玄、某に対し、北条氏政が羽生城に向け出陣した@@ ことを伝える。……………………………………………… 381@@ 271(天正元年、一五七三)二月十六日 北条氏繁、大内晴泰に書状を送り、成田氏長の要請で@@ 羽生城攻撃を行うに際し案内役を命じる。……………… 382@@ 272(天正元年、一五七三)四月十九日 結城晴朝、北条景広に書状を送り、北条氏政の深谷・@@ 羽生攻撃の近いことなどを告げる。……………………… 383@@ 273 天正元年(一五七三)八月三日 成田氏長、今井の百姓職と居屋敷を稲村内蔵助に安堵す@@ る。…………………………………………………………… 384@@ 274 天正元年(一五七三)八月七日 吉清、嶋田氏に対して起請文を提出する。……………… 385@@ 275(天正元年、一五七三)八月八日 上杉謙信、越山を要請した菅原直則に書状を送り、越山@@ の延期を伝える。…………………………………………… 385@@ 276(天正元年、一五七三)八月九日 小山秀綱、那須資胤に書状を送り、北条氏政の小松着陣@@ を伝え、加勢を依頼する。………………………………… 386@@ 277(天正元年、一五七三)八月二十八日 北条氏照、成田氏長に羽生城を攻撃した旨を伝える。… 387@@ 278 天正二年(一五七四)一月 木戸忠朝、正覚院に羽生城の安泰祈念を依頼し、@@ 寺領一〇〇〇疋を寄進する。……………………………… 388@@ 279 天正二年(一五七四)三月七日 木戸忠朝、元服の嶋田助十郎に忠の字を与える。……… 389@@ 280(天正二年、一五七四)三月十三日 上杉謙信、木戸忠朝・重朝父子および菅原直則に書状を@@ 送り、上野国の戦況を伝え、また羽生城への出陣を告げ@@ る。…………………………………………………………… 389@@ 281(天正二年、一五七四)三月二十七日 北条氏政、富岡秀高に書状を送り、上杉謙信の羽生口へ@@ の転戦と氏政自身の出陣などを告げる。………………… 390@@ 282(天正二年、一五七四)三月二十八日 上杉謙信、木戸忠朝・重朝父子および菅原直則に書状を@@ 送り、上野国の戦況を告げ、重朝を羽生に残し、忠朝・@@ 直則らの参陣を要請する。………………………………… 391@@ 283(天正二年、一五七四)四月一日 上杉謙信、木戸忠朝・菅原直則に書状を送り、北条氏政@@ と利根川で対時する戦略を伝える。……………………… 392@@ 284(天正二年、一五七四)四月四日 上杉謙信、木戸忠朝・重朝父子および菅原直則に書状を@@ 送り、一両日中に羽生筋へ移陣することを告げる。また@@ 船を多く集め置くことを命じる。………………………… 393@@ 285(天正二年、一五七四)四月十三日 上杉謙信、木戸忠朝・重朝父子および菅原直則に書状を@@ 送り、利根川増水のため、羽生城への兵根・弾薬の輸送@@ が失敗したことを伝える。………………………………… 394@@ 286(天正二年、一五七四)四月十六日 上杉謙信、菅原直則に書状を送り、北条氏政の本庄・@@ 本田への移陣と、自身の今村への退陣を告げる。……… 396@@ 287(天正二年、一五七四)五月九日 成田氏長、正木丹波守の羽生における戦功を賞する。… 397@@ 288(天正二年、一五七四)五月九日 成田氏長、青木兵庫助の羽生における戦功を賞する。… 398@@ 289 年月日未詳 成田氏長、某氏の羽生における戦功を賞する。………… 399@@ 290 天正二年(一五七四)六月二十九日 成田氏長、正木丹波守に栢間・郷地・笠原の地を与える。399@@ 291 天正二年(一五七四)十一月十二日 成田氏長、小倉図書助の戦功を賞する。………………… 400@@ 292(天正二年、一五七四)十一月二十四日 上杉謙信、那須資胤に関東の戦況を伝えるとともに@@ 参陣を要請する。その中に成田領などを放火した旨が@@ 見える。……………………………………………………… 401@@ 293(天正二年、一五七四)閏十一月十八日 北条氏政、小田氏治に書状を送り、上杉謙信の敗北や@@ 羽生城の自落のことなどを伝える。……………………… 402@@ 294(天正二年、一五七四)閏十一月二十日 上杉謙信、蘆名盛氏に関東の戦況を伝える。その中に@@ 成田氏の忍城下を焼き払ったことなどが見える。……… 403@@ 295(天正二年、一五七四)閏十一月二十五日 足利義氏、由良国繁に書状を送り、関宿・羽生の@@ 落城のことなど、上杉謙信の敗北を伝える。…………… 405@@ 296 年未詳四月一日 足利義氏、木戸忠朝に官途名の変更を認める。………… 406@@ 297(天正四年、一五七六)二月十一日 北条氏政、同氏邦に書状を送り、北武蔵おょび上野国の@@ 状況などを伝える。その中に成田氏長らが北条氏政の@@ 下知に従う旨を返答したことが見える。………………… 406@@ 298 天正四年(一五七六)九月十九日 成田氏長、福田幸十郎に二〇貫七七五文の領地を与える。406@@ 299 天正五年(一五七七)一月 成田氏長・小田大炊頭、年頭の挨拶のために足利義氏の@@ もとへ代官を参上させる。………………………………… 409@@ 300 天正五年(一五七七)三月九日 成田氏長、今村源左衛門に五〇貫文の地を与える。…… 410@@ 301 天正五年(一吐七七)三月十四日 成田氏長、青木兵庫助に加恩として荒木の地を与える。 410@@ 302 天正六年(一五七八)一月 成田氏長・小田大炊頭、年頭の挨拶のために足利義氏の@@ もとへ代官を参上させる。………………………………… 411@@ 303 天正六年(一五七八)三月七日 正覚寺の棟札に大檀那成田下総守氏長らの名が見える。 412@@ 304 天正六年(一五七八)三月七日 木戸休波、上野国三夜沢大明神に願文を捧げ、羽生城@@ 回復を祈願する。…………………………………………… 412@@ 305(天正六年、一五七八)四月三日 成田氏長、長野喜三の伊勢参宮をねぎらう。…………… 413@@ 306 年未詳六月一日 成田氏長、長野喜三に村岡妻子の迎えを依頼する。…… 414@@ 307 年未詳十月十六日 成田氏長、冷泉明融に選歌を依頼する。………………… 415@@ 308 天正七年(一五七九)三月十一日 聖護院門跡、幡羅郡および騎西郡のうち成田領分の熊野@@ 参詣以下の先達職を円蔵坊に安堵する。………………… 416@@ 309(天正八年、一五八〇)一月 成田氏長・小田大炊頭、年頭の挨拶のために足利義氏の@@ もとへ代官を参上させる。………………………………… 417@@ 310 天正八年(一五八〇)五月 里村紹巴、「源氏物語細流抄」二〇冊を成田氏長に与え@@ る。…………………………………………………………… 418@@ 311(天正八年、一五八〇)十二月一日 北条氏邦、塩荷を押えるべき範囲を定める。また忍領に@@ おける狼藉を厳禁する。…………………………………… 418@@ 312 天正八年(一五八〇)十二月十二日 成田氏長、長野喜三に熊谷の町にて木綿売買の宿を申し@@ 付ける。……………………………………………………… 419@@ 313 天正八年(一五八〇)十二月十五日 成田氏長、長野喜三に熊谷町にて小間物店の開設を許可@@ する。………………………………………………………… 420@@ 314 天正九年(一五八一)一月 成田氏長、年頭の挨拶のために足利義氏のもとへ代官を@@ 参上させる。………………………………………………… 421@@ 315 天正十年(一五八二)一月 成田氏長、年頭の挨拶のために足利義氏のもとへ代官を@@ 参上させる。………………………………………………… 422@@ 316 年未詳二月十日 足利義氏、龍興寺に寺領の上崎村を安堵する。………… 423@@ 317(天正十年、一五八二)二月二十八日 周玄、織田信長が成田氏長に朱印状を出したことについ@@ て、町野新五郎に書状を送る。…………………………… 424@@ 318 天正十年(一五八二)十一月二十五日 成田氏長、商人宗治の関東下向の際、歌を詠む。…… 425@@ 319 天正十年(一五八二)七月七日 長久寺住職の重僌、根来版経巻を求める。……………… 425@@ 320 年未詳 後北条氏により「小田原一手役之書立」が作成される。@@ その中に忍の成田氏の名が見える。……………………… 426@@ 321(天正十二年、一五八四)一月十日 北条氏直、成田氏長に新年の祝儀として太刀などを与え@@ る。…………………………………………………………… 427@@ 322 天正十二年(一五八四)六月十四日 後北条氏、小泉城へ運ぶ兵糧を忍領から巨海に移送する@@ よう富岡秀高に命じる。…………………………………… 428@@ 323 天正十二年(一五八四)十二月七日 猪俣邦憲、忍領白石村の百姓地を光厳寺に寄進する。… 429@@ 324(天正十二年、一五八四)十二月十五日 北条氏照、那波顕宗に書状を送り、茂呂・堀口におけ@@ る戦功を賞す。その中に忍衆の過半が藤岡に移陣したこ@@ とが見える。………………………………………………… 430@@ 325(天正十三年、一五八五)十月二十四日 北条氏政、芳春院松嶺に書状を送る。その中に忍と@@ 羽生の留守居衆らに古河への移陣を命じたことなどが見@@ える。………………………………………………………… 431@@ 326(天正十四年、一五八六)四月二十日 成田氏長、伊達政宗に書状を送り、仙道制圧を祝すととも@@ に関東の状勢を伝える。…………………………………… 432@@ 327(天正十四年、一五八六)七月二十八日 壬生義雄、正木丹波守らに書状を送り加勢人衆として@@ 着陣したことに謝意を表明する。………………………… 433@@ 328(天正十七年、一五八九)八月十六日 成田氏長、栗原備前守へ書状を送り、小田原への参陣を@@ 促す。………………………………………………………… 435@@ 329(天正十七年、一五八九)八月十八日 北条氏照書状の中に、成田氏の軍勢が相模国に在陣する@@ 旨が見える。………………………………………………… 435@@ 330 天正十七年(一五八九)十二月二十月 成田氏長、栗原大学助に門井のうち二〇貫文の田畠を@@ 宛行う。……………………………………………………… 436@@ 331 天正十七年(一五八九)十二月二十月 成田氏長、栗原大学助に門井のうち一〇貫文の田を@@ 夫馬免の地として宛行う。………………………………… 438@@ 332 年未詳一月九日 成田氏長、朝倉上野介に書状を送り、新年の祝儀進物を@@ 謝する。……………………………………………………… 439@@ 333 年未詳四月晦日 成田氏長、薗尾氏に本庄落用水ならびに九郷関用水の@@ 止水について意見する。…………………………………… 439@@ 334 年未詳六月晦日 成田氏長、朝比奈兵衛尉に書状を送り、北条氏規から@@ 使者が遣わされたことなどを伝える。…………………… 440@@ 335(天正十八年、一五九〇) 「関東八州諸城覚書」が作成される。その中に忍城主の@@ 成田氏の名が見える。……………………………………… 442@@ 336(天正十八年、一五九〇) 「北条家人数覚書」が作成される。その中に忍城の@@ 成田氏の名が見える。……………………………………… 444@@ 337 天正十八年(一五九〇)四月 豊臣秀吉、忍領内の龍淵寺と熊谷に三か条の禁制を発給@@ する。………………………………………………………… 445@@ 338(天正十八年、一五九〇)五月二日 河島重続、片倉景綱・原田宗時に書状を送り、小田原城@@ 包囲の状況を伝え、伊達政宗の参陣を進言する。その中@@ に深谷・忍の攻略戦のことなどが見える。……………… 446@@ 339(天正十八年、一五九〇)五月二十七日 長岡忠興ら、北条氏直に書状を送り、岩付城明け渡し@@ の状況を伝える。その中に忍城攻撃の予定などのことが@@ 見える。……………………………………………………… 450@@ 340 天正十八年(一五九〇)五月 豊臣秀吉、正伝院に三か条の禁制を発給する。………… 453@@ 341 天正十八年(一五九〇)五月 豊臣秀吉、香林寺に三か条の禁制を発給する。………… 454@@ 342(天正十八年、一五九〇)六月五日 豊臣秀吉、筑紫広門に関東の諸城攻略の状況を伝える。@@ その中に忍城攻めに向かう諸将の名前が見える。……… 455@@ 343(天正十八年、一五九〇)六月七日 豊臣秀吉、加藤清正に関東の諸城攻略の状況を伝える。@@ その中に忍城攻めに向かう諸将の名前が見える。……… 456@@ 344(天正十八年、一五九〇)六月八日 岡田利世、小幡信定に書状を送り、小田原攻めの状勢を@@ 伝える。その中に上杉景勝と前田利家が忍城攻めに出陣@@ したことなどが見える。…………………………………… 458@@ 345(天正十八年、一五九〇)六月十二日 豊臣秀吉、石田三成に朱印状を送り、忍城水攻めに関す@@ る方針を指示する。………………………………………… 462@@ 346(天正十八年、一五九〇)六月十三日 豊臣秀吉、黒田長政に朱印状を送り、小田原城の様子お@@ よび北条方の城々の攻略状況を伝える。………………… 463@@ 347(天正十八年、一五九〇)六月十三日 石田三成、浅野長吉・木村常陸介に書状を送り、忍城の@@ 水攻めの状況を伝える。…………………………………… 465@@ 348(天正十八年、一五九〇)六月二十日 豊臣秀吉、石田三成に忍城の水攻め普請を申し付ける。 466@@ 349(天正十八年、一五九〇)六月二十日 山中長俊、成田氏長に書状を送り、忍城の開城を勧告す@@ るとともに、豊臣秀吉への取りなしを約東する。……… 467@@ 350(天正十八年、一五九〇)六月二十日 成田氏長、山中長俊に返書を送り、長俊の厚情に感謝す@@ る。…………………………………………………………… 468@@ 351(天正十八年、一五九〇)六月二十九日 豊臣秀吉、忍城攻めを指示した前日の命令を撤回する@@ 旨、上杉景勝に伝える。…………………………………… 469@@ 352 天正十八年(一五九〇)六月 榊原康政、加藤清正に長文の書状を送る。その中に忍城@@ 水攻めのことが見える。…………………………………… 470@@ 353(天正十八年、一五九〇)七月三日 豊臣秀吉、浅野長吉の忍城皿尾口における戦功を賞し、@@ 水攻めを命じる。…………………………………………… 475@@ 354(天正十八年、一五九〇)七月四日 一柳可遊、浅野長吉に書状を送り、豊臣秀吉の忍への@@ 動座のことなどを伝える。………………………………… 476@@ 355(天正十八年、一五九〇)七月五日 森勝也、浅野長吉に書状を送り、忍城攻めの戦功をたた@@ える。………………………………………………………… 478@@ 356(天正十八年、一五九〇)七月五日 平塚紀八、浅野長吉に書状を送り、忍城攻めの長期在陣@@ をねぎらう。………………………………………………… 478@@ 357(天正十八年、一五九〇)七月六日 豊臣秀吉、上杉景勝らに小田原落城後の戦後処理と忍城@@ 水攻めの堤修築のことなどを伝える。…………………… 479@@ 358(天正十八年、一五九〇)七月六日 井伊直政、忍城攻略中の浅野長吉に書状を送り、長吉の@@ 戦功をたたえ、また小田原落城後の戦後処理のことなど@@ を伝える。…………………………………………………… 481@@ 359(天正十八年、一五九〇)七月六日 浅野長吉、龍淵寺に書状を送り、豊臣秀吉の朱印状に従@@ って一切の違乱を停止する旨を伝える。………………… 482@@ 360(天正十八年、一五九〇)七月六日 式部丞吉昌、忍城攻略中の浅野長吉に書状を送り、普請@@ の苦労をねぎらう。………………………………………… 482@@ 361(天正十八年、一五九〇)七月六日 簗田晴助、忍城在陣中の浅野長吉の陣所に疵医の派遣を@@ 伝える。……………………………………………………… 483@@ 362(天正十八年、一五九〇)七月七日 井伊直政、忍城攻略中の浅野長吉に書状を送り、@@ 小田原城明け渡しのことなどを伝える。………………… 484@@ 363(天正十八年、一五九〇)七月七日 新庄直友、忍城攻略中の浅野長吉に書状を送り、小田原@@ 落城後の戦後処理を伝える。……………………………… 485@@ 364(天正十八年、一五九〇)七月七日 生駒忠清、浅野長吉に書状を送り、忍城攻めの戦功をた@@ たえ、豊臣秀吉の動座のことなどを伝える。…………… 486@@ 365(天正十八年、一五九〇)七月八日 秋元長朝、浅野長吉に書状を送り、かこ関の支度として@@ 熊谷で竹木を伐採し、忍城に出陣する旨を伝える。…… 487@@ 366(天正十八年、一五九〇)七月十日 寺西正勝、浅野長吉に書状を送り、忍城攻撃に手負い人@@ 多数が出たことを悼み、またその後の状況などを伝える。488@@ 367(天正十八年、一五九〇)七月十日 町野重仍、浅野長吉に書状を送り、忍城攻めの戦功を@@ たたえる。…………………………………………………… 489@@ 368(天正十八年、一五九〇)七月十三日 得居通年、浅野長吉に書状を送り、忍城攻めの戦功を@@ たたえる。…………………………………………………… 490@@ 369 天正十八年(一五九〇)七月十三日 浅野長吉・木村常陸介、忍の内の長慶寺に定書を与える。491@@ 370(天正十八年、一五九〇)七月十四日 織田信雄、浅野長吉に書状を送り、忍城攻略の戦攻を@@ たたえる。…………………………………………………… 491@@ 371(天正十八年、一五九〇)七月十四日 浅野長吉、滝川忠征に書状を送り、今日・明日中に忍城@@ へ入城することを伝える。………………………………… 492@@ 372(天正十八年、一五九〇)七月十四日 木村常陸介、滝川忠征に書状を送り、浅野長吉とともに@@ 忍城の処理を担当することなどを伝える。……………… 493@@ 373(天正十八年、一五九〇)七月十六日 浅野長吉、簗田晴助に忍城を一昨日請け取った旨を伝え@@ る。…………………………………………………………… 495@@ 374(天正十八年、一五九〇)七月十七日 ふく、父・ 浅野長吉に消息を送り、忍城攻略の戦功を@@ たたえる。…………………………………………………… 496@@ 375(天正十八年、一五九〇)七月十七日 浅野長吉、滝川忠征に書状を送り、忍城請け取りを伝え@@ る。…………………………………………………………… 496@@ 376(天正十八年、一五九〇)七月十八日 前田利家、浅野長吉に書状を送り、忍城の戦後処理を@@ たたえるとともに、弟鷹一羽を所望する。……………… 497@@ 377(天正十八年、一五九〇)七月二十三日 榊原康政、浅野長吉に書状を送り、忍城攻略の戦功を@@ たたえる。…………………………………………………… 498@@ 378(天正十八年、一五九〇)七月二十八日 豊臣秀吉、伏屋十内らを奉行に任じ、道中の御座所設@@ 置の工事を忍番衆らに命じる。…………………………… 499@@ 379 天正十九年(一五九一)七月二十四日 蒲生氏郷、陸奥国九戸へ出陣する陣立てを作成する。@@ その中に「成田殿兄弟」が見える。……………………… 501@@ 380(天正十九年、一五九一)八月五日 成田氏長、浅野長吉らに書状を送り、参陣を伝える。… 502@@ 381(天正十九年、一五九一)八月二十四日 徳川家康、成田氏長に書状を送り、奥州での近況を伝@@ える。………………………………………………………… 503@@ 382(文禄元年、一五九二)八月十日 成田氏長、竹門斎に書状を送り、茶の湯小座敷の作事に@@ ついて指導を受ける。……………………………………… 504@@ 383 文禄二年(一五九三)三月十日 成田氏長、朝鮮に出兵し、増田長盛のもとで釜山城の@@ 普請にあたる。……………………………………………… 504@@ 384 文禄三年(一五九三)十一月二十日 成田氏長、伊達政宗・南部信直らとともに浅野長吉の@@ 与力となる。………………………………………………… 506@@ 385(慶長八年、一六〇三)十月十九日 成田泰親、下野国の普門寺に土地と屋敷を寄進する。… 507@@ 386 慶長十四年(一六〇九)五月十八日 成田泰親、青木与兵衛に二〇〇石の知行を与える。…… 507@@ 387(元和元年、一六一五)四月五日 成田泰親、大坂に出陣する三男泰直に対し、中間・小姓@@ の羽織や陣幕などの調達を伝える。……………………… 508@@ 388(元和元年、一六一五)六月九日 成田泰親、大坂の陣における泰之・泰直兄弟の働きぶり@@ について青木与兵衛に謝意を表明する。………………… 509@@ 389 年未詳七月十七日 成田泰親、青木与兵衛らに対し、泰之・泰直兄弟の小姓@@ らの無礼なふるまいを誡めることを申し入れる。……… 510@@ 390 年未詳八月十日 成田泰親、本多忠純に初雁を進上したことなどについて@@ 青木与兵衛に書状を送る。………………………………… 512@@ 391 年未詳三月五日 成田泰喬、高野山清浄心院に書状を送り、祈念の巻数な@@ どを拝領したことを謝する。……………………………… 513@@第三編 系図・記録@@ 1 成田系図………………………………………………………………………………………………… 517@@ 2 士林泝洄………………………………………………………………………………………………… 539@@ 3 断家譜…………………………………………………………………………………………………… 551@@ 4 外国府間村吉羽家由緒書……………………………………………………………………………… 553@@ 5 寛政重修諸家譜………………………………………………………………………………………… 558@@ 6 関八州古戦録(抄)…………………………………………………………………………………… 562@@ 7 鎌倉九代後記(抄)…………………………………………………………………………………… 573@@ 8 北条記(抄)…………………………………………………………………………………………… 577@@ 9 豆相記(抄)…………………………………………………………………………………………… 586@@ 10 深谷之記(抄)………………………………………………………………………………………… 587@@ 11 石川忠総留書(抄)…………………………………………………………………………………… 589@@ 12 忍城戦記………………………………………………………………………………………………… 590@@ 13 石川正西聞見集(抄)………………………………………………………………………………… 596@@ 14 東国太平記(抄)……………………………………………………………………………………… 596@@ 15 龍淵寺年代記一………………………………………………………………………………………… 597@@ 16 龍淵寺年代記二………………………………………………………………………………………… 604@@ 17 高野山清浄心院日月牌帳……………………………………………………………………………… 615@@ 18 龍淵寺梵鐘銘文………………………………………………………………………………………… 620@@ 19 成田御家臣分限帳……………………………………………………………………………………… 626@@第四編 板碑@@ 一 板碑の概要………………………………………………………………………………………………… 651@@ 二 所在地別一覧……………………………………………………………………………………………… 673@@ 三 主要板碑銘文……………………………………………………………………………………………… 710@@ 1 嘉禎二年(一二三六) 金胎両界大日種子板碑………………………………………………… 710@@ 2 延応二年(一二四〇) 阿閦一尊種子板碑……………………………………………………… 711@@ 3 仁治三年(一二四二) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 711@@ 4 寛元二年(一四四四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 712@@ 5 宝治二年(一二四八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 712@@ 6 建長二年(一二五〇) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 713@@ 7 正嘉二年(一二五八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 713@@ 8 文応二年(一二六一) 阿弥陀一尊種子・同三尊図像板碑…………………………………… 714@@ 9 弘長元年(一二六一) 阿弥陀三尊種子・地蔵一尊図像板碑………………………………… 715@@ 10 文永元年(一二六四) 地蔵一尊図像板碑……………………………………………………… 715@@ 11 文永元年(一二六四) 本尊不詳種子板碑……………………………………………………… 716@@ 12 文永二年(一二六五) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 716@@ 13 文永二年(一二六五) 地蔵三尊図像板碑……………………………………………………… 717@@ 14 文永五年(一二六八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 718@@ 15 文永八年(一二七一) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 718@@ 16 文永十一年(一二七四) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 719@@ 17 文永十一年(一二七四) 阿弥陀三尊ヵ種子板碑………………………………………………… 719@@ 18 建治元年(一二七五) 阿弥陀一尊種子・六字名号板碑……………………………………… 720@@ 19 弘安四年(一二八一) 本尊不詳種子板碑……………………………………………………… 721@@ 20 弘安六年(一二八三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 721@@ 21 弘安七年(一二八四) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 722@@ 22 弘安七年(一二八四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 722@@ 23 弘安七年(一二八四) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 723@@ 24 弘安十年(一二八七) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 723@@ 25 正応二年(一二八九) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 724@@ 26 正応三年(一二九〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 724@@ 27 正応三年(一二九〇) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 725@@ 28 正応五年(一二九二) 本尊不詳種子板碑……………………………………………………… 725@@ 29 永仁二年(一二九四) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 726@@ 30 永仁三年(一二九五) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 726@@ 31 永仁五年(一二九七) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 727@@ 32 正安二年(一三〇〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 727@@ 33 正安二年(一三〇〇) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 728@@ 34 正安二年(一三〇〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 728@@ 35 乾元二年(一三〇三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 729@@ 36 嘉元三年(一三〇五) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 729@@ 37 徳治二年(一三〇七) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 730@@ 38 延慶二年(一三〇九) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 730@@ 39 延慶三年(一三一〇) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 731@@ 40 延慶三年(一三一〇) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 731@@ 41 延慶三年(一三一〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 732@@ 42 延慶四年(一三一一) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 732@@ 43 応長元年(一三一一) 阿弥陀三尊ヵ種子板碑………………………………………………… 733@@ 44 応長元年(一三一一) 阿弥陀三尊ヵ種子板碑………………………………………………… 733@@ 45 正和元年(一三一二) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 734@@ 46 正和元年(一三一二) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 734@@ 47 正和二年(一三一三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 735@@ 48 正和二年(一三一三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 735@@ 49 正和三年(一三一四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 736@@ 50 正和三年(一三一四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 736@@ 51 文保元年(一三一七) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 737@@ 52 元応三年(一三二一) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 737@@ 53 元応三年(一三二一) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 738@@ 54 元亨元年(一三二一) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 739@@ 55 元亨元年(一三二一) 本尊不詳種子板碑……………………………………………………… 739@@ 56 元亨元年(一三二一) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 740@@ 57 元亨二年(一三二二) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 740@@ 58 元亨三年(一三二三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 741@@ 59 元亨三年(一三二三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 741@@ 60 元亨四年(一三二四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 742@@ 61 元亨四年(一三二四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 742@@ 62 元亨四年(一三二四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 743@@ 63 元亨四年(一三二四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 744@@ 64 元亨四年(一三二四) 六字名号板碑…………………………………………………………… 744@@ 65 正中二年(一三二五) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 745@@ 66 正中三年(一三二六) 十字名号板碑…………………………………………………………… 745@@ 67 嘉暦三年(一三二八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 746@@ 68 嘉暦四年(一三二九) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 746@@ 69 元徳元年(一三二九) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 747@@ 70 元徳三年(一三三一) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 747@@ 71 正慶二年(一三三三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 748@@ 72 建武二年(一三三五) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 748@@ 73 建武三年(一三三六) 阿弥陀三尊ヵ種子板碑………………………………………………… 749@@ 74 建武五年(一三三八) 阿弥陀三尊ヵ種子板碑………………………………………………… 749@@ 75 暦応三年(一三四〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 750@@ 76 暦応三年(一三四〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 750@@ 77 暦応五年(一三四二) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 751@@ 78 康永二年(一三四三) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 751@@ 79 康永四年(一三四五) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 752@@ 80 康永年間(一三四二~四五) 題目板碑…………………………………………………………… 752@@ 81 貞和四年(一三四八) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 753@@ 82 貞和四年(一三四八) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 753@@ 83 貞和四年(一三四八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 754@@ 84 貞和五年(一三四九) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 754@@ 85 観応三年(一三五二) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 755@@ 86 正平七年(一三五二) 釈迦一尊種子板碑……………………………………………………… 755@@ 87 文和二年(一三五三) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 756@@ 88 延文元年(一三五六) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 756@@ 89 延文二年(一三五七) 阿弥陀三尊ヵ種子板碑………………………………………………… 757@@ 90 延文四年(一三五九) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 757@@ 91 延文五年(一三六〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 758@@ 92 延文六年(一三六一) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 758@@ 93 延文年間(一三五六~六一) 阿弥陀一尊種子板碑……………………………………………… 759@@ 94 康安二年(一三六二) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 759@@ 95 貞治五年(一三六六) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 760@@ 96 応安元年(一三六八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 760@@ 97 応安三年(一三七〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 761@@ 98 応安七年(一三七四) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 761@@ 99 応安八年(一三七五) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 762@@ 100 永和四年(一三七八) 釈迦一尊種子板碑……………………………………………………… 762@@ 101 永和四年(一三七八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 763@@ 102 永和五年(一三七九) 阿弥陀三尊ヵ種子板碑………………………………………………… 763@@ 103 康暦二年(一三八〇) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 764@@ 104 永徳元年(一三八一) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 764@@ 105 永徳三年(一三八三) 阿弥陀一尊種子・六字名号板碑……………………………………… 765@@ 106 永徳三年(一三八三) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 765@@ 107 永徳四年(一三八四) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 766@@ 108 永徳四年(一三八四) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 766@@ 109 至徳二年(一三八五) 阿弥陀三尊図像板碑…………………………………………………… 767@@ 110 至徳三年(一三八六) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 767@@ 111 至徳年間(一三八四~八七) 阿弥陀一尊種子板碑……………………………………………… 768@@ 112 康応元年(一三八九) 地蔵一尊種子板碑……………………………………………………… 768@@ 113 明徳元年(一三九〇) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 769@@ 114 明徳二年(一三九一) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 769@@ 115 応永元年(一三九四) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 770@@ 116 応永三年(一三九六) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 770@@ 117 応永三年(一三九六) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 771@@ 118 応永十五年(一四〇八) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 771@@ 119 応永十五年(一四〇八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 772@@ 120 応永三十年(一四二三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 772@@ 121 応永年間(一三九四~一四二八) 胎蔵界大日一尊種子板碑…………………………………… 773@@ 122 正長三年(一四三〇) 本尊不詳種子板碑……………………………………………………… 773@@ 123 永享二年(一四三〇) 金剛界大日一尊種子板碑……………………………………………… 774@@ 124 永享七年(一四三五) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 774@@ 125 永享八年(一四三六) 本尊不詳板碑…………………………………………………………… 775@@ 126 嘉吉三年(一四四三) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 776@@ 127 宝徳三年(一四五一) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 777@@ 128 応仁二年(一四六八) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 777@@ 129 文明二年(一四七〇) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 778@@ 130 文明九年(一四七七) 阿弥陀三尊種子板碑…………………………………………………… 778@@ 131 文明年間(一四六九~八七) 十三仏板碑………………………………………………………… 779@@ 132 永正六年(一五〇九) 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 780@@ 133 年不詳 普賢一尊種子板碑……………………………………………………… 780@@ 134 年不詳 本尊不詳種子板碑……………………………………………………… 781@@ 135 年不詳 金剛薩埵一尊種子板碑………………………………………………… 781@@ 136 年不詳 六字名号・地蔵四尊図像板碑………………………………………… 782@@ 137 年不詳 本尊不詳図像板碑……………………………………………………… 782@@ 138 年不詳 題目板碑………………………………………………………………… 783@@ 139 年不詳 阿弥陀一尊種子・地蔵一尊図像板碑………………………………… 783@@ 140 年不詳 阿弥陀一尊種子板碑…………………………………………………… 784@@執筆分担…………………………………………………………………………………………………………… 785@@資料提供者・協力者……………………………………………………………………………………………… 785@@所蔵・出典一覧…………………………………………………………………………………………………… 788@@市史編さん事業関係者…………………………………………………………………………………………… 793@@@@別冊 成田記@@ 解説@@ 凡例@@ 目次@@ 序@@ 巻一@@ 成田家系図の事…………………………………………………………………………………………… 3@@ 太平山龍渕寺草創の事…………………………………………………………………………………… 5@@ 附り同寺末流繁栄の事@@ 鎌倉騒動并成田家時社頭造政の事……………………………………………………………………… 10@@ 家時并資員卒去顕泰家督の事…………………………………………………………………………… 12@@ 鎌倉変事并顕泰卒去の事………………………………………………………………………………… 14@@ 成田顕泰行脚并安房にて卒去の事……………………………………………………………………… 16@@ 上杉定正太田道灌を誅并親泰忍に移事………………………………………………………………… 18@@ 上田蔵人神奈川篭城并成田家戦功の事………………………………………………………………… 21@@ 三庭尼遺願に依て常慶院建立の事……………………………………………………………………… 23@@ 古河の御所忍へ御使并奈良家没収の事………………………………………………………………… 25@@ 成田長泰家督并親泰卒去の事…………………………………………………………………………… 26@@ 巻二@@ 赤并山城守忍へ寄并須加落城の事……………………………………………………………………… 29@@ 顕忠依遺言ニ清善寺起立の事…………………………………………………………………………… 31@@ 管領憲政川越合戦并長尾景春娘成田ニ嫁[事]……………………………………………………… 33@@ 管領平并城没落并長泰北條に降る事…………………………………………………………………… 36@@ 上杉謙信忍の城を攻事…………………………………………………………………………………… 38@@ 謙信と長泰と問答并氏康古河を攻る事………………………………………………………………… 41@@ 成田家北越に随ふ并北武蔵同断の事…………………………………………………………………… 43@@ 鶴が岡拝賀并謙信長泰を譴責する事…………………………………………………………………… 46@@ 成田人質盗出并長泰北越の小荷駄奪事………………………………………………………………… 49@@ 巻三@@ 謙信騎西城攻并皿尾へ砦を築事………………………………………………………………………… 53@@ 長泰羽生砦を取并氏長城門閉事………………………………………………………………………… 57@@ 成田氏長横瀬娘を娶并対面の事………………………………………………………………………… 61@@ 泰蔵院造立并泰蔵出家の事……………………………………………………………………………… 63@@ 成田家飯塚要人討死并成田と伊勢と不快事…………………………………………………………… 65@@ 長尾顕長忍へ使を越并氏康卒去事……………………………………………………………………… 68@@ 深谷の侍忍領狼藉并坂本忍へ使の事…………………………………………………………………… 70@@ 久下市田太郎謀計顕成田家より使者の事……………………………………………………………… 72@@ 巻四@@ 諸国動乱并佐竹義重成田を語ふ事……………………………………………………………………… 76@@ 上杉景虎滅并北條より出陣成田加勢の事……………………………………………………………… 76@@ 武田家滅亡并滝川一益成田へ使を入ル事……………………………………………………………… 78@@ 信長公生害并滝川上洛成田と合戦事…………………………………………………………………… 80@@ 成田蘆伯斎怪異并三澤津か弓法の事…………………………………………………………………… 83@@ 成田家にて連歌興行の事………………………………………………………………………………… 86@@ 長泰入道蘆伯斎卒去の事………………………………………………………………………………… 91@@ 氏長宗廟へ連歌奉納の事………………………………………………………………………………… 91@@ 京都関東和儀破手切の事………………………………………………………………………………… 93@@ 小田原軍評定の事………………………………………………………………………………………… 95@@ 巻五@@ 小田原の使忍に来る并氏長家中に示す事……………………………………………………………… 98@@ 成田氏長妻子へ教訓の事………………………………………………………………………………… 99@@ 氏長出陣并平并大隅塾居の事…………………………………………………………………………… 101@@ 豊臣殿下并諸侯関東へ下向の事………………………………………………………………………… 104@@ 忍城内軍評定の事………………………………………………………………………………………… 106@@ 忍城内人数配持口を定事………………………………………………………………………………… 108@@ 龍渕寺へ使者并別府清勝妻の事………………………………………………………………………… 113@@ 寄手人数配并皿尾口砦合戦の事………………………………………………………………………… 116@@ 巻六@@ 寄手軍評定并大谷吉隆述懐の事………………………………………………………………………… 120@@ 皿尾口合戦の事…………………………………………………………………………………………… 121@@ 長野口合戦の事…………………………………………………………………………………………… 123@@ 佐間口合戦并速見時之憤恨の事………………………………………………………………………… 126@@ 下忍口合戦の事…………………………………………………………………………………………… 128@@ 大宮口合戦の事…………………………………………………………………………………………… 130@@ 佐間口の寄手へ夜討の事………………………………………………………………………………… 133@@ 石田三成火矢を仕損る事………………………………………………………………………………… 135@@ 寄手水攻評定の事………………………………………………………………………………………… 138@@ 巻七@@ 水請の堤を築事…………………………………………………………………………………………… 141@@ 水攻の防禦城中評定の事………………………………………………………………………………… 142@@ 附り東晋の荀枩か女灌娘か事@@ 成田肥前守泰季病死の事………………………………………………………………………………… 146@@ 城中より堤を切崩事……………………………………………………………………………………… 149@@ 下忍口合戦并別府顕清討死の事………………………………………………………………………… 151@@ 大手軍長野口引払の事…………………………………………………………………………………… 155@@ 佐間口軍寄手敗軍の事…………………………………………………………………………………… 158@@ 持田口軍并成田近江逆心発事…………………………………………………………………………… 160@@ 巻八@@ 龍渕寺へ制札を賜る事…………………………………………………………………………………… 164@@ 成田兄弟降参内通の事…………………………………………………………………………………… 168@@ 成田氏長反心に依て城中評定の事……………………………………………………………………… 171@@ 持田口再戦の事…………………………………………………………………………………………… 173@@ 持田口合戦難儀城中加勢の事…………………………………………………………………………… 176@@ 上方勢小田原遠巻の事…………………………………………………………………………………… 179@@ 忍開城の事………………………………………………………………………………………………… 180@@ 小田原没落并成田兄弟出城の事………………………………………………………………………… 183@@ 巻九@@ 徳川公龍渕寺入御の事…………………………………………………………………………………… 186@@ 附り羽林忠吉朝臣御由緒の事@@ 蒲生氏郷会津拝領并成田一族同所へ[下る事]……………………………………………………… 192@@ 成田兄弟奥州福井の城へ移事…………………………………………………………………………… 194@@ 成田兄弟奥州塩川加勢の事……………………………………………………………………………… 195@@ 福井城代濱田将監逆心の事……………………………………………………………………………… 196@@ 成田兄弟塩川より福井に引返事………………………………………………………………………… 199@@ 成田兄弟福井を攻落并甲斐女働事……………………………………………………………………… 201@@ 蒲生氏郷凱陣并濱田を刑する事………………………………………………………………………… 202