2026年3月25日
資料展「きらりと光る埼玉先人の言葉」開催中です!(県立熊谷図書館)
みなさん、こんにちは。熊谷図書館 地域・行政資料担当です。
現在、県立熊谷図書館2階ロビーでは、資料展「きらりと光る埼玉先人の言葉」を5月21日まで開催中です。

埼玉の三偉人(渋沢栄一、荻野吟子、塙保己一)は広く知られているところですが、埼玉には、このほかにもさまざまな分野で活躍した埼玉ゆかりの人物がたくさんいます。
資料展では、本多静六(林学者)、権田愛三(農事改良家)、西﨑キク(飛行家)、小村雪岱(画家)等、15人の人物の言葉を、本人の著作や関連資料等とともに紹介しています。
彼らの専門分野での功績を知ることはあっても、座右の銘や信条などに触れる機会は少ないのではないでしょうか。印象的なワンフレーズを抜き出したパネルも展示しています。
今回は、この資料展で展示されている「言葉」をいくつかピックアップして紹介します。
「温故知新は学ぶものの本領なり」荻野吟子(『女学雑誌 復刻 358号』より)

荻野吟子(現在の熊谷市生まれ)は、明治18年に医術開業試験に合格し、荻野医院を開業。女性として日本で初めて医師になった人です。
この言葉は、40代前半の吟子が『女学雑誌』に掲載した論文「本邦女医の由来及其前途」の冒頭の一文です。
温故知新こそ学びの基本姿勢、本質だと述べて始まるこの論文には、女医の由来、女医育成の将来に対する意見が綴られています。
「これからの女は組織だった学問で頭を練る必要がありますね」辻村みちよ(『婦女新聞 複製版 49巻』より)

辻村みちよ(現在の桶川市生まれ)は、理化学研究所で緑茶の研究を始め、大正13年にビタミンCの含有を発見。
さらに、渋みの成分であるカテキンの分離に成功し、日本で最初の女性農学博士となった人です。
この言葉は、昭和7年6月19日の『婦女新聞』7面に掲載された記事中の一文です。
「文学は独学でもできるが、組織立った学問は設備のある場所でないと研究はできない」との考えで理科の道に進んだ辻村ですが、その向学心の根底には教育熱心な父と、好奇心旺盛な母の精神が影響していました。
「昔の洋学者は、字引きをつくってから、原書を読んだというではないか。いまは字引きもあるのだ。独学でやって、できぬことがあるものか」大川平三郎(『実業の日本 1989年7月15日号』より)

大川平三郎(現在の坂戸市生まれ)は渋沢栄一の甥で、渋沢の王子製紙に入社。
のちに九州製紙を創立、富士製紙社長にも就任し、「製紙王」と呼ばれました。
この言葉は、新入社員時代の平三郎が、帰宅後も物理の理論書で勉強していた際、重労働の疲れで毎晩睡魔に襲われる度に、自らを奮い立たせるように発した言葉です。
「郷土を大事にしない者は、どのような地位にあろうと尊敬されない」林頼三郎(『忍郷友会九十周年記念誌』より)

林頼三郎(現在の行田市生まれ)は司法省刑事局長、司法次官を歴任し、陪審法の成立にも大きく関わった人です。
また、母校中央大学で学長を務めるなど、法学教育にも貢献しました。
この言葉は、頼三郎が会合から帰宅した後、息子・裕の前で口癖のように言っていた台詞です。
特に裕が銀行に就職してからは、財界人についての批評をよく聞かせてくれたとの話が、裕の著作「父 林頼三郎の思い出」の中に綴られています。
「漫画で風刺するのは、百編の文章より千万語の言論よりも力がある」北沢楽天(『楽天』より)

北沢楽天(現在の東京都生まれ)は、日本初のカラー漫画雑誌『東京パック』を創刊し「日本の近代漫画の祖」と呼ばれた人です。
晩年は先祖代々の土地である大宮市盆栽町(現在のさいたま市大宮区)に「楽天居」を構え、好きな日本画を描きながら余生を送りました。
民衆の立場の代弁者として、当時の世相や生活、文化を諷刺しました。
この言葉は、かつて楽天の漫画が政治や国際問題にまで影響を与えたという例を引き合いに出して書かれた一文です。
「漫画はそれ程威力のあるものだから」と、日本に対する世界の認識不足を正す役割を果たすよう、漫画家志望の若者に向けて投げかけました。
このほかにも、埼玉ゆかりの人物の「言葉」を紹介しています。
こちらの資料展で紹介している15人を知りたい方は、展示資料リストをご覧ください。
ぜひご来館いただき、埼玉ゆかりの先人たちの言葉をご堪能ください!

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開催期間:令和8年3月7日(土曜日)~令和8年5月21日(木曜日)※図書館休館日を除く
場所:埼玉県立熊谷図書館 2階ロビー
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