メニューにジャンプこのページの本文へジャンプ
埼玉県立図書館 あなたの調べるを応援します

« 「医中誌Web」を導入しています! | 図書館ブログ | 16ミリ映写機技術講習会 »

2014年7月9日
富岡製糸場伝習工女第1号"尾高ゆう"

「明治五年七月、尾高ゆう(十四歳)は郷里下手計村(現・深谷市)を後にして、真夏の太陽の下を、一路中山道を北上していた。 めざすは、群馬県の富岡。」
(『埼玉の女たち 歴史の中の25人』 p163 韮塚一三郎/著 さきたま出版会 1985)

こんにちは。
熊谷図書館 人文科学資料担当です。

6月21日、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されました
官営富岡製糸場の設立にあたっては、大蔵省で製糸場設置主任を担当した渋沢栄一(しぶさわ えいいち,1840-1931)や、建設資材調達のまとめ役を務めた韮塚直次郎(にらづか なおじろう,1823-1898)といった深谷市出身の人物が活躍しました。

また、栄一の従兄で、実業家の尾高惇忠(おだか あつただ 通称:じゅんちゅう,1830-1901)は、初代工場長となりました。

尾高惇忠生家.jpg
深谷市指定文化財「尾高惇忠生家」 (江戸時代後期)
2014年6月撮影

深谷市下手計(しもてばか)236
※6月7日から一般公開しています。
公開時間:午前9時から午後5時

入口.jpg
尾高家に関するパネルが展示されています。

富岡製糸場は明治5年に完成しました。
ところが、惇忠はそこで働く工女の募集に苦慮することになります。
原因は、フランス人指導者たちの飲むブドウ酒を見た人々が、それを生き血と思い込み、生き血をとられてしまうという噂が広まったためでした。

そこで惇忠は噂を払拭するため、郷里の下手計村から最愛の娘・尾高ゆう(1858頃-1923)を招き寄せることにしました。
14歳のゆうは父親の心中を察し、伝習工女第1号として富岡製糸場に入ることを決意します。

ゆうの決断は郷里の少女らを刺激し、5人の少女がゆうと行動を共にすることになりました。
ゆうたち初期工女の熱意なくして富岡製糸場の繁栄はなかったのかもしれません。

内部.jpg
<尾高惇忠生家 内部> ※中にあがることはできません
ゆうも、14歳までこの家で過ごしました。
ゆうは、明朗で忍耐強く、男勝りのところがあったそうです。
江戸時代の終わりからわずか5年、埼玉にはこのような女性がいたのです。
富岡製糸場が世界遺産に登録されたいま、栄一や惇忠と並んで注目したい人物ですね!

富岡に訪れる際は、ぜひ深谷にも立ち寄ってみてください

深谷市下手計周辺の風景はこちら
「そーなん!?渋沢栄一のふるさと」(2013年8月21日掲載)

参考文献
『尾高惇忠 郷土の先人 深谷ふるさと文庫第1巻』(荻野勝正/著 博字堂 1995)
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会 1998)

参考URL
「渋沢栄一ミュージアム」 (深谷市文化振興課)